また不調かなと思う。一番の理由はここのところの親の体調の変化が大きかったことと、それに伴って当人のこころの様子もまた時々に変化すること。体が衰えていくのは仕方がないとしても、心の有り様が割と短い間隔で揺れているように思われるのに戸惑う。
気の確かさが以前と変わらないように思う時もあれば、急にぼけてしまったんじゃないかと思う時もある。特にうっかりやモノ忘れ、何度も同じことを話す(これは母親のほうが顕著)といった、まるで認知症の前触れのような(実際には加齢に伴う自然現象なんだろうけど。)事を確かに以前より多く経験するようになった。
もっとも僕だって小さな頃からボケたことをよくやったしよく話した。でももしかするとそれは障害からくる事も多かった(多い)のだといまさら感じることはある。でも今高齢の親に起こっていることは普通の人がたどる加齢からの体調異変のダメージやそれに伴うこころの変化なのだろうと思う。それを自然なものとして受け止めるゆとりが今の自分にはない。
その親が家周りのプランターをいじっている間、犬が「僕も外に出たいなぁ」と思いながらウロウロしたり勝手口を見つめたりする様子を激写。honor6plusのワイドアパチャー機能も使う。
犬は一般にカメラを向けられるのを嫌がる傾向があると思うのだけれど、機体の大きな一眼レフカメラより、薄い板みたいなスマホで撮られる方が彼らの警戒心は薄れる気がする。
写真には人物が入るほうが、誰にとっても見てわかりやすくて楽しめるものになる性質がある気がする。子供のできた家庭ではカメラやビデオの需要が高くなるし、パソコンの壁紙が我が子になったり年賀状が子供の写真付きになったりする。それらの画像は、まるで初めて蕎麦を打った人がその打ちたての蕎麦の美味しさに我ながら感心し、「もしかすると自分にはそば打ちの特別な能力があって、お店をやってもうまく行くんじゃないか」と思うその蕎麦の存在に似ている気がする。
僕には人を撮る機会はほとんどないし、たとえかわいいと感じても他人様の断りなくその様子を撮れる時代ではなくなった。でも時々、人を撮ったらどんな風に撮るんだろうかと思うことがある。その時には今は処分してしまった35ミリあたりの単焦点レンズがちょうど役立つんだろうなと思う。
関係ないけれどこのノートは親の付き添いを兼ねて親の部屋で横になりながらスマホで打っている。写真の撮影、加工から、ブログの作成までスマホでできるようになったんだなあと、今頃思う。
“スマホでブログ” への3件のフィードバック
Dear Chiro,
You are handsome.
You are charming.
You are very cute.
Hi! COSMOS san!
ほめてくださってありがとうwan!
この時は毛は伸び放題。
でも今はご主人様の気まぐれのおうち散髪のせいですこしふとめのキツネみたいになってるんですよ。
でも外に出るとなぜか知らない人にもかわいがってもらえます。
COSMOS:≪I have no wards. Good dog.≫ (言葉がないわ、いいワンちゃんよ)
Chirochan:【That’s good dog?】(いいワンちゃんでしょ?)
COSMOS:≪Year of course. Amazing.≫ (もちろんよ、すばらしいわ)
Chirochan:【Amazing dog.】(すばらしいワンちゃんでしょ?)
~ 2015.11GPシリーズ日本大会、free滑走後、キスクラでの
Brian Orser coach と Yuzuru.H 選手の会話を引用、arrangeしてみました!*^^* ~