菜の花

昼頃起きたら父親が出先から帰って来たところだった。ホームセンターの5%割引が今日までなので、実際には年末からまったく進んでいないけれどこの機会に壁紙を買っておきたいと話して同行してもらうことにした。自分にはよくあることだけれど、年明けからシャワーだけ浴びてお風呂に入ることをしていなかったので、お昼からお風呂に入った。出てみたら母親が「あの人、ネギをとりに行ってくる、言うてまた出て行った」と言う。今、帰って来た場所にわざわざ今すぐ必要のないもののためにまた出かけるというせわしなさは、去年あたりから父親に目立つようになった。それで借りている庭や家への行き来については去年一度車を止めようと決めたはず(http://www.arnote.net/?p=2268)のあたりから何度か相談をしたり考えたりしたのだけれど、結論が出て来ない。坂の町は今の父親にとって歩くにはきついし、僕が父親に日々同行すればいいだけのことかも知れないが、今はそれだけの自信もないし、父親の行動に大方付き従うというのもどこか不健全な気がする。それが「介護」の一環ということであれば、それを言い訳にして「やって当たり前だ」と割り切ることもできるのかも知れないけれど。
お父さんが事故を起こしてその息子さんがあとあと大変な苦労をしたのも実際に見聞きしたし、父親自身その古くからの知り合いでもあったのでよく相談に乗りに行っていたのも思いだす。ところがそれを考えないといけない番が自分たちに回ってきた今、いったいどうしたらいいのかがわからない。とりあえず、家との往復を最小限にするため、朝出たら昼まで帰らない、昼出たら明るい間に帰って来てそれ以降は乗らないようにした方がいいと話してみた。
ホームセンターへ行くついでに、全国的にも有名になった、菜の花と冠雪した山が同時に見えるという場所へ出かけてみた。休みだし、有名になってしまったことで車は駐車場から溢れ出していたけれど、リゾートマンションの反対側にずらりと路駐されている隙間に停めて、少しの間久しぶりに一眼レフカメラで写真を撮った。案の定、どの角度から撮っても人が写ってしまう。父親は、僕が写真を数枚撮っている間にちょっと外に出てやはり景色を見たようだった。父親にとっては菜の花よりも、近くに群生するという「ハマヒルガオ」という花が興味の的のようだった。今の時季、それを見るのはまだ無理だったに違いないのだけれど。

買い物を済ませて帰ると母親がしんどそうだったので熱を測ったらふだんより1度ほど高かった。ゆうべ、とても寒かったというのでその時から風邪をひき熱を出してしまったようだった。ただ咳の症状がないので、ものが食べれて顔色もわるくならないようなら今夜は様子を見て週明けの診察で診てもらったらいいと思った。すると買って来た巻き寿司はよく食べたし、遅くなってからもふつうに話して顔色がわるくなっていくということもなく、寝るときに再度声をかけてもしっかりと答えたので、去年のように病院へ行くということがなしに済んだのはとりあえずほっとした。
去年はそのまま熱がどんどん上がっていき、本人も寝汗をかいてわるそうな状態だったので救急へ行ったらインフルエンザの診断が出て、従来からある胸の疾患の方の検査も念のためしてもらった。お薬をもらって帰って来たら今度は父親がしんどそうにしていて、熱を測ったらやはり発熱していた。こちらは翌日にかかりつけ医にみてもらって、やっぱりインフルエンザだった。
正月、帰って来た弟に母親が「去年は夜中に熱が出て病院で長い間かかって大変だった」と話したら、弟は「待たされるということはそれだけ大丈夫だということや」と言っていた。でも僕の感覚としてはちょっと違った。あれはあれで大変だった。特に父親が同時に同じような症状になり、合わせて妄想のような言葉や動きが出て来たのには参った。むしろ入院してもらえれば24時間介護でもあるしいざとなれば診療もすぐに受けられる。実際、去年の秋に母親が糖尿の教育入院をしていた途中、胸の症状の増悪が起こって危ない状態になった。それでも入院中だったから助かった。
両親の具合が悪くなり、在宅でその様子を見るとなるとそのしんどさはどちらかが入院してどちらかは通院というようなそれまでの状態とは訳が違った。自分以外に誰かがそばに付いていてくれるわけでもなく、何を食べたいか聞いても答えない。父親は妄想を起こして訳のわからないことを言い出すし、車を運転して勝手に出ていこうとする(それはあらかじめ予想されたのでバッテリーを外しておいた)。4時ごろ起きだしてきて僕の部屋まで来て「出かけないと約束があるから」と言い出す。
これは耐えられないと思ったので普段から母親のお世話になっているケアマネさんに連絡をして指示を仰いだら、幸いすぐに来てもらえて、まずは再度かかりつけ医にふたりとも連れて行き、ヘルパーさんに入ってもらうことなった。ところがヘルパーさんに入ってもらうのはいいものの、「何をしましょうか」と言われることを負担に感じたし、結局すべてこちらが指示した内容で買い物と晩ご飯を作ってもらうことにした。その指示を考えるのに疲れた。加えて母親が「ヘルバーさんを頼むとお金がかかる」「あの人の声が大きくていやだ」とか不満を言うので、三回ほどでそちらは断ることになった。なので親が熱ひとつ出しても医療だけにはとどまらず、後を引くことがあるので、僕にしたら高齢の親の体の不具合は医療面では「大丈夫」とされても、その後に休養が必要となって家で寝込まれるとあんまり大丈夫じゃなかった。
僕がこの世に生まれて!最初にとても驚いたのは、身の回りにある人工物が全部人の作ったものだということだった。人工物なんだからそれは当たり前だけれど、僕からしてみるとお箸からお椀からマッチからおもちゃから家から・・・、何から何までこれを人が全部作っているものだなどということはとても信じがたい事実だった。今でも、身の回りがゴチャゴチャしてくるとそれをあるべき場所に片付けたくて仕方がなくなる。周りをシンプルな状態にしておきたい強い衝動にかられる。物についてもそうなので、これが現実の選択肢となるとやっぱり混乱する場面がたくさん出てくる。特に今は親の状態について、何から手をつけてどう整理していくべきかを問われている時だと思うのに、ひとつのことだけを考えだしてもいろんな選択肢がまた出て来て煮詰まってくる。
加えて自分の面倒もみないといけない。さしあたりは依頼された作業を片付けて行かないといけないのに、やろうと思えば一日でも不可能じゃない作業しか今はまだないのに、それに手を付ける気が起きない。それは、この間書いた理由(前の作業代を頂いていない)もあるし、体自体が以前に比べて作業することについて拒否的なように思える。年末から部屋の修繕(石膏ボードで壁を塞ぐあたりまでは出来た)にも一切、手をつけなくなったということもある。気持ちは先走るけれど、気力がわかない。体も疲れている。
前に発達障害、特に自分について、自分の頭の中で起こっていることについて書いたことがあるけれども、その時にはCPUにあたる前頭葉は正常なのに他の部位がしっかり働かないので情報やそれに対応する動作の整理がつかずに混乱が起きているんじゃないかなあというようなことを書いたけれど、やっぱり小さな頃からの虚弱な体質も含めて、脳全体もどこもいずれかがおかしいのだろうと思う。いろいろなことに収集をつけづらいのは、たぶんそのためなんだろうと思う。

菜の花” への2件のフィードバック

  1. かずやさんこんにちは。
    黄色い絨毯の写真、
    私の心に、いっぱいの夢と幸せを運んでくれました。
    柔らかな陽射しを浴びる
    一面に広がる黄色い畑が
    私に贈ってくれるもの・・・
    何より確かな
    あの「美しい日が甦る」
    この空間に心を溶かし
    また一つ
    新たなる「旅立ち」へと羽ばたく私を
    菜の花畑は
    温か色で迎えて送り出してくれるのです
    この花と共に毎年私は
    心の底から春の一歩を踏み出します
    春を歩み始めるのです
    嬉しくて
    身体の中の五線譜を追って
    心が春を歌います。。。
     

  2. COSMOSさん、詩とも思えるコメントを頂いてどうもありがとうございます。
    この花にも想いを持っておられるようですね。
    寒い時期にあたたかな春を予期させてくれる菜の花。
    僕もこの花には想いがあります。子供の頃は周りに畑が広がっていて
    この花もよく咲いていました(今はおおかた住宅地になりました。)。
    チョウチョが寄ってきて、それを網を持って追いかけたものでした。
    学校の授業にも持って行ったのを覚えています。
    写真、よけいなことかも知れませんが原寸でお送りしようかなと思います。
    少し時間を頂くかもしれませんが。
    そうだ、これから写真について想いを伝えて下さった方には
    できるだけ原寸のそれをメールでお送りしようと思いました。
    新しい発想を頂きました。再び、ありがとうございます。

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