昨日調子に乗って少し動いたら、今日はほとんど何もできなかった。動けなかった。昼間も横になっている時間が多く、起きたらもう夕食の時間になっていた。動けない時には大きな自責感にかられる。
父親が犬の散歩に出ている間、母親とまた言い合いになった。きっかけは大したことがないのに、ずっと話し続けていくと結果的に言い合いになってお互いに疲れてしまうということが、特に夏前に調子を落とす前にしばらく続いたので、先生とも話をして少し距離を置くか、話をしてもあまり深くならないように気をつけていたのに、またやってしまっている。それが後悔として胸に残る。
子供の頃、学校で嫌なことがあってもそれを伝えることはしなかったし、できなかった。自分がいることを恥ずかしく思い、寝る前には親の方に向かって手を合わせた。体のだるさがあったので、よく父親にマッサージをしてもらっていた。そのかわり自分も高校生の頃までは毎晩必ず、特にこりのひどい母親の体をマッサージしていた。けれどそれは、考えてみれば「親子分離」のできていなかったことの証拠かもしれない。今でも自分の一番の問題の一つはそれだと思っている。
大人になり収入ができた時には、父母の誕生日に何かを用意することにした。財布やバッグ、ネッカチーフ・・・今年も父親の誕生日に腰に巻くタイプのバッグを贈った。それは年齢を重ねて物忘れが多くなり、携帯や家の鍵をどこに置いたか忘れることが増えたので、常に腰に巻いたバッグにそれらを入れておけば便利だろうと思ったから。ただ、おそらく使い続けてはくれないだろうとも思っていた。
両親は僕がこれまで贈ったものをあまり使ってくれたことがない。ハンカチやネッカチーフをデパートで選んできて渡しても、母親は「こんな綺麗なのはもったいないから、また大事なときに使うわ」と言って結局「大事なとき」にも使われることなく、いつの間にか押入れの中で古着なんかと一緒になっていたりする。果たして今年父親に贈ったものも使っていたのは一週間にも満たなかった。けれどそのことは予想していたので、贈るときに「別に無理して使うことはないけれど」と話しておいた。
5年ほど前まではこの時期、両親を車に乗せて年に一度一泊二日程度の旅行に出かけていた。けれどそのあと二人共がほぼ同時期に健康を害する部分がよく出てくるようになって、今ではそんなことも無理な状態になっている。もっとも今は経済的ゆとりもない。夏前のあの落ち込みは主に父親の病状を気にやむ期間が長かったからだと自分では思うので、今回は本人が毎日動いている限り、あんまりそのことで悩むまいと「決めて」いる。風邪をひいてしばらく具合の悪かった時も、以前なら色々と気を揉んで毎日熱を測ったり急な診察を勧めて連れて行ったりしたけれど、本人がいいというのならと、今回は連絡先や考えられる対処なんかは覚えとして記録しているものの、あんまり体調面で「干渉」はしていない。
母親はこのあいだの診察で心配な面があることは自分にはわかったけれど、本人は先生の言葉でむしろ安心しているようなので、こちらもそれほど言う事もしていない。デイがあるとしんどいという言う時には、以前なら「リズムをつけるために行っておいたら」「できればお風呂サービスを受けたら」と話していたものだけれど、最近は逆に「しんどいなら休んだら」と話す。すると実際に休んでいる時もあれば頑張って行く日もある。それでいいかなと思う。第一直すならまず自分自身の生活リズムだ。
先生に「僕は普通なのに障害者としていていいんでしょうか?」と話したことがある。すると先生は「(例えば)外出が思うようにできない。生活に支障がある。それが障害なんです。堂々としていていいんですよ」と言われた。この障害、実のところわけがわからない。人からは「普通」として扱われることもあれば、そうでない時もある。自分にしても「普通・定型人」として振る舞う時もあれば、それがまさに「振る舞い」であって実は無理をしていたのだと後で思うこともある。人から働きかけられたことで反射的に答えたことが、後から考えると実はそうでもないと気づくこともある。
“「堂々と」しづらい障害” への2件のフィードバック
お久しぶりです。コメントを残そうか迷ったのですが…
しんどいようなら無視してください
では。
T・Hさま、コメントをどうもありがとうございました。
ご本名でしたのであえてこちらでイニシャルに変えさせていただきました。
メンタルの障害、また発達障害についても、薬の効き方やその時の環境や体調によって、
人から見て明らかにしんどそうだとわかる時もあれば、
「この人、本当に障害があるんだろうか」と思われているような気がしたり、
自分でも
「俺はこんなことで障害者としていていいんだろうか」
などと思うことがあります。
この辺りは少し接しただけでそうとわかる身体(外部)や知的の方との大きな違い
ですね。
何事も、できる時もあれば、本当に調子が悪くてできない時もある。
それはどの障害を持っていても同じだと思うんですが、
外見からも、また、時には自分でも自分の状態が掴みづらいことがあるのがメンタル面の
障害、発達障害の厄介なところだなあ・・と感じています。