障害についてもう少し
発達障害は脳機能の障害であり生まれつきのものとされています。その態様は人によりさまざまで、幼少期に発見される人もいれば、成人してからそれに気づくという場合もあります。
僕の場合で言えば、子供の頃から「おとなしい」「元気がない」「人と関わろうとしない」「周囲になじもうとしない」といった特徴にしか注目されませんでした。成績表や先生からのお知らせには「おとなしい。もっと学級活動もがんばりましょう」といった言葉がよく記されていました。
けれども、自分としては「どうしてそうなんだろう・・・?」と日々自問しながら、努力してようやくその段階を保っているわけです。他人から見れば「なぜもっとがんばらないのか」となるのですが、自分にしてみるとその状態で精一杯「普通(定型発達者)」に近づこうとしている状態なのです。
もともと発達に遅れがある部分を自分なりの工夫(友達の動きを真似るなど。)でなんとか補おうとするので無理が生じます。それが長年に渡ると精神的安定に影響が出てきます。
僕の場合、小学校に上がる前から時に強い悲哀を感じるようになりました。それはまるで、「この世から自分ひとりが切り離されているような感じ」という表現が最も近いように思われます。小学校中学年あたりからは何かある度に「どうして自分はこうなんだろう、もう取り返しのつかない人間だ」という焦りと悲しさ、後悔が出てくるようになりました。・・・この辺は今書いていてもしんどくなります。
小学校高学年になると、先生をはじめ、周囲から嫌われているという思いを強く持つようになりました。先生は、積極的で周囲に人気もある弟と自分を比較して「弟さんはおもしろいね。あなたはおとなしいね」と何度も話します。僕は「おとなしくて周囲になじめないで嫌われている自分」を強く恥じるようになりました。
中学校に上がってから、「もう疲れた」と感じた瞬間をはっきりと覚えています。直後にクラスメートが「おとなしいな」とまた声をかけてきました。苦笑いするしかありませんでした。
そしてそんな自分を守る方法をひとつ思いつきました。ともかくテストをがんばって、成績を平均以上にしておくこと。授業を聞いて即座に理解することは難しかったし、先生の話を聞きながら黒板に書かれた文字をノートに写しとりながらという作業は苦手でしたが、時々自分なりの方法で勉強した内容をまとめたり、テスト直前に暗記をしてそれを本番で一気に吐き出すといった方法を使えばどの教科も(体育や美術、音楽や書道などを除いて。)ある程度の点数を維持することができました。
翻って人との関係はますますとれなくなっていました。小学校のときから近寄ってくれていた友達たちとはどうしてかきれいに!別のクラスになってしまい、班づくりをする際など自分ひとりがどこにも入れないので大変困ったのを覚えています。
高校時代からは精神的不安定がかなり表面に行動として現れてきました。行き帰りを共にしてくれる子がひとりいましたが、そのほかの時間は授業を聞くだけで休みじかんはひたすら机にふせっているだけということがほぼ毎日続きました。同じ中学校の子らとは離れたかったので県外の、親の望まない学費のかかる私立高校へ行きました。けれどそこでも友達がひとりもできない。親にも迷惑をかけている。学校生活も破綻している。先生との交流もない。
行き帰りは電車を利用するのですが、ある時から自分について噂をしたり、非難する声が聞こえてくることが多くなりました。おそらく半分以上は本当の言葉だったと自分では確信しているのですが。
それは主に自分の容姿についてであったり、表情(時に顔面がこわばったり引きつったりするようになりました。)についてであったり。どうしてか同じ年代の女の子複数の声として、よく聞こえてきました。車内では人の視線をこわく感じ、どこに見ていればいいのかわからないので、寝ているか、文庫本を開いていることが多かったように思います。