子供の頃の凝り

2014110301
昨日、久しぶりにA4プリンターを使おうと思ったらエラーランプが点滅してばかりで使うことができなかった。パソコンの画面にはヘッドが取り付けられていない旨のメッセージが出ていたのでネットで調べてヘッドを取り外し、インクの吹き出し部分をお湯にしばらく漬けるという対処法を試したけれどその後もエラーランプが消えることがない。
2005年に一度東京へ出かけた。僕は滅多に遠出をしない。本当はお金さえあれば遠出もしていろんな景色も見たいのだけれども、まずお金があまりないことと、それから外に出ることの方の苦痛が多くて傷つくだけだという予感が働くので。
けれどその頃ちょうど「電車男」がテレビや映画になり、秋葉原の風景がよく出てきて、「デジタル物のメッカ」としてのそこを一度だけでも見ておきたいという気持ちが募り、始発で出て終電で帰る昼食付きの新幹線の切符を思い切って買い、出かけてみた。
当時の秋葉原はまだ「AKB48」もブレイクする前だったし、確かに「オタクの街」の雰囲気はあったけれど日本一の電気街であるという印象の方がよく残った。そして何を思ったのかその帰りに、今エラーランプを点滅させているプリンターを買ったのだった。帰りの新幹線でプリンターの箱が足元にあるのを見て「これなら地元でも買えたのにな」と、どうしてわざわざ東京で、帰りに重い目にあうのもわかっているのにこれを買ったんだか自分でも不思議に思っていた。
その後、時々ヘッドクリーニングが必要なインクかすれがあったぐらいで、あとは不具合なく動いてくれていたそのプリンターだったけれど、とうとう動かなくなった。写真も含めていろんなものを刷ってきたことを考えると、これまでが順調過ぎるくらいだったと思う。特に一昨年ぐらいからは収入がほぼなくなったので、一度買うと何度か詰め替えの効く非純正インクばかり使っていたから、それも今回のことを招く原因になったのかも知れない。本来は修理してでも使いたい機体だけれども、保守部品の保有期間がとっくに切れていてメーカーでの修理はほぼ不可能になっており、これは粗大ごみに出して新しいものを買うしかないだろう。(不燃ゴミとして出せるのかなと思って市のホームページを見たら、粗大ごみとして出せということだった。)

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実はこれ以外にもその後A3の刷れるプリンターを中古で買った。それはちょうど写真を撮ることが好きになり、少し大きめのものが印刷できたらなあと思ったのと、もうひとつは、ずっと請け負わせてもらっている家での依頼作業の確認用にその大きさで刷れるプリンターが必要になったからだった。実際にはインクのコストがかかり過ぎるので写真をこのプリンターで刷ることはほとんどなく、もっぱら後者の使い途のために置いてあるけれど、それにしてもこのプリンターは綺麗には印刷できるけれど維持費がかかり過ぎる。依頼作業の試し刷りを繰り返しているとどれかの色が必ずなくなって印刷不能になるので、いつも作業前に全色アマゾンで注文して用意しておくのだけれど、これがかなり高くつく。
なので今回のことをきっかけに、まず使用不能になった機体は廃棄することにし、維持費のかかり過ぎるA3機は順調に動く間に下取りに出して、維持費がこれほどにはかからないA3印刷の可能な機体に統一しようかと思っている。いずれにしてもその新しいプリンターと初期のインク代はかかってしまうけれど、今のA3機を維持していくコストを考えれば、やがて早いうちに今投資する金額に達してしまうだろう。その後は写真もあまり印刷することのないまま、維持費だけがどんどんとかさむだろう。せっかく写真を印刷してみようと楽しみにしていたのに、それではあんまりだ。
今すぐ新しい機体を買うのでなく、年明けの家での作業の収入をあてにするなら、年賀状需要で高めになっている機種もその頃には今より安く手に入るかも知れない。なのでしばらくは今のものを使って、作業料があてにできる段階になってから新しいプリンターを買うのが一番負担が少ないだろう。本当は夏にした作業の代金をまだ頂いていないのだけれど、それは自動車保険に充てることに決めている。
ところでセブンイレブンに行くとSDカードに入れたPDFファイルをA3で印刷してくれる大型の複合機が置いてある。だから色合いさえ気にしないのなら少し離れてはいるけれどもセブイレで刷り上がり見本は出力できる。けれど出るのがおっくうな時(それはいつもだいたいそうだけれど。)や色合いをなるべく画面と同じに出したい時なんかは家で色調整をしたプリンターで刷ってきた。そこでもし廉価なA3機を買うとしたら、色の方はあんまり期待できないかも知れないのがちょっと気にかかる。それでも場合によっては夜中にお店まで出て行く必要も出てくることを考えれば家で印刷できる環境があるだけマシだし、本当に厳密な色見本が必要だと感じたら印刷所に色校正を頼めばいい。幸い、今までは写真の色合いについてそんなに不満を言われることはなかったから、画面上の色があんまりひどくなければたぶんそこまでは要求されないだろうと思う。
2014110303
話が変わるけれど、小さな頃から僕はひどく首や肩が凝った。あまりつらい時、父親に頼んで揉んでもらっていたのだけれど、今から思うと子供の頃からあれほど凝りのひどい子供というのもあんまり周囲ではいなかった。そんな話が話題になることもなかったし、弟が親に凝りをほぐしてもらっている姿など見た事がない。このことはつい先日にふと思い出してツイートしたところ、「自分もそうだった」という人がおられてその方も発達障害の診断を受けておられるようだった。
以前、知的障害を伴う自閉症をもつ方がおられる施設にいた時、その方のふだんの緊張が半端なく強いことが見た目にもよくわかった。常に緊張しているため体に力が入り過ぎていて食べるのは普通に食べていてもとても痩せておられた。力の入れ加減が非常に強く、通常の人ではできないような作業の仕方をされてもいた。突然パニックを起こされるので、「突然」が苦手な僕はそのことが予感されると身も気持ちも縮まった。幸い、後に自閉症に詳しい方が職員として着任されたので、その方がなるべく安定した状態でいられるよう、食事時には皆と別の場でとる配慮をされたりして「突然」のパニックに怯えることは少なくなったし、その方自身も安定しておられることが多くなった。
恐らくだけれども、今にして思えば自分も小さな頃から外での緊張が通常よりは強く、それがストレスになり体の凝りとなって現れていたんだろうと思う。不思議に思った母親は、当時自分が通うあんま屋さんで僕のことを尋ねては「テレビの見過ぎだろうと言われた」と繰り返していたけれども、自分ではあの頃からその見方には懐疑的だった。それなら他の子供の体の凝りも同じようになければいけないだろうと思ったので。
そしてもし今自分が子供であれば、あの頃より体が凝る条件はふんだんにある。テレビゲーム、携帯ゲーム機は普及しているし、車の後席で子供がテレビやDVDを見れるようにモニターを付けてある車も少なくない。
凝りは今でも強い方だけれども、ストレスが少なければ二ヶ月に一度くらいマッサージを受ける程度で済んでいる。当時のあんま屋さんに行くのは年齢的に恥ずかしく、父親に首や肩を揉んでもらわなければ我慢できない期間は学齢期の間ずっと続いた。大人になってからも父親が大病で倒れるまでは時折、やはり首や肩を揉んでもらうことがあった。