
先月、風景を撮りに行ったとき、空を見上げたら雲間から雪が落ちてきた。太陽が見えているのに、雪が冷たい風といっしょに降り落ちて来るのだった。
寒いと、何かをやろうとする意欲が薄らいでしまう。最近だんだんと暖かくなってきたのでほっとする。それと同時に、花粉症による鼻炎やら、冬の間の不摂生がたたっての自律神経の乱れやらが出ていることもあり、これからちょっとずつでも生活リズムを取り戻していくことだなと思う。今日は早く起きて犬の散歩をしたりしたけれど、もう夜中なので明日は8時頃に起きれればいいかなと思う。
明日(今日)はゴミを出す日なのでサッカーを見終わってから二袋にまとめておいた。お風呂に入ったついでに浴槽や床を洗った。その前には食器を片付けて今晩よごれたものを洗った。
午前中、父親の訪問看護師さんが来られるので部屋の整理をした。洗濯物を干した。父の薬箱を整理した。夕方は外出してまだ人の少ないスーパーで買い物をし、そのまま散髪に行った。
あんまり動いていないと思うことが多いけれど、こうして振り返ってみると思うより動いている。自分については、いったん動き出すと気が済むまで動くこともあるし、動かない時は本当に動かない。このあたりのバランスがうまくとれていけばなと思うけれども、性質上無理だろう。そう感じる。それが自分というものなんだと思って、自覚しておくしかないような気がする。
話が変わるけれども、世間って結構いいかげんだなと思う時がある。
たとえば最近、入院中の母親の無呼吸症候群の症状をおさえるための機械が不具合を起こした。それは寝ている間マスクを口にはめておくと無呼吸状態になった際に空気を強制的に体へ送り込んでくれるという便利な装置なのだけれど、これまでこわれたことはなかったのに病棟をあちこち移ったり落っことされたりしているうちに具合がわるくなったのか、この間見た時には口にはめても空気を送り込む様子がなかった。それで業者さんに電話したら「病院のある地域の担当者に伝えて、場合によっては様子を見に行かせます」というお話になり、それはありがたいと思って、尋ねられたので病室名まで伝えておいた。その連絡を終えた後もう一度病室へ戻ったらなぜか機械は通常通り動いたのだけれど母親は「一度みてもらう方がええわ」と話した。
週明け、業者さんから電話があって、「ああ、機械の様子をみてもらえるのかな・・・」と思っていたら、「私はその病院のある地域の担当者じゃないので行けない」のだという。あれ?話が全然伝わっていない。これでは「振り出しに戻る」だ。その上、「実は会社の組織も変わって、年度末で忙しいこともあるので」やはり行けないのだと。
話がまるで伝わっていない上にご自身の仕事の忙しさを理由にされる。「行けないので、今動いているようならとりあえずそのまま様子をみておいてください。それと3月分の利用代をお支払い頂けていないので・・・」と、話が機械の利用料のことに移ってしまった。
人がこわくなっている僕は強いことも言えず、「あぁ・・はい。今はなんとか動いているようなんで、またよほど悪くなるようならお電話します」と引き下がり、「利用料はお支払いしますので、また請求して下さい」と言うと、入院中の利用料は診療所での支払いとは別の基準で算出されるようで、「病院の担当者に連絡して、集金させていただきたいのでお願いします」と言われて、以上おわり。
う〜ん、こういうのはどうなんだろう。もし僕が、「先週聞いたお話では(こうこう)ということだったんですが?」と、ちゃんと説明を求めたら、相手の人も「これは手強い」ということで話の展開も違ったんだろうか。
僕は、相手が気が弱そうだから、いや、逆に気が強そうだからと態度を変える人の姿というものを好ましいとは思えない。自分にもそういう面があるから偉そうには言えないけれど。ただ、少なくとも相手が「弱そう」だから自分が楽にふるまえるようにしよう、という気持ちは起こらない。
ここのところ、犬がいっそう落ち着かない。母親がいないことが原因だろうかと思うのだけれど、以前は10時くらいになれば寝ていたのに、今は遅くまで部屋をあちこち歩いたり出て行ったり。今晩はどこかで吠えている声はしているのにどこにいるのかわからないと思ったら階段の上からこちらを見下ろして吠えていた。