親との距離とお金のことなど


お金のことでは、30代の後半くらいまで親に任せていることが多かった。健康保険や年金などもそうで、自分で負担していたのは20代の頃にコピー屋さんにいたとき保険の外交員さんにすすめられたことをきっかけに掛けることにした、月々が少額で済む民間の医療保険くらいだった。40代も近くなった頃、親は突然僕に金銭的な支援をあまりしなくなった。それは意識してか、自然とそういう流れになったのかわからないけれど、ともかく、自分の物やことは自分で賄うという感じになった。そうした結果が今の「惨状」につながっているが、少なくともほとんど親と離れずに過ごして来た生き方の中では、このことは精神的には大切なことかも知れないと今になって感じる。
自分の分を自分で受け持とうと考えると、ある程度親との精神的距離が開く。たとえ一緒に暮らしてご飯を食べさせてもらっていても、そのことを意識はするし何か別のかたちででもそれを返すことができないか、などとも一応考たりする。これは収入が「仕事」だろうが「年金」であろうが、変わることはない。人生の目標といえばおおげさだけれど、現実的要請としては収入の継続があるのかも知れないが、それはそれとして、僕としては連れ合いをもっていっしょに歩いたり考えたりしたいということがひとつある。すると、その時に大事なのは、自分が自分の面倒をみれるということじゃないかと思う。たとえば「主夫」のようなかたちでもいいのだけれど。ただ、その際にも自分の面倒をみる意識がないと主夫だってきっとできないんじゃないかと思う。
障害をもつ。年金を受ける。一応、「自分たちの生活をそれでみなさい」ということになっているが、これを心配だからと親が管理してお小遣いのような形で本人に渡すというケースもあるだろう。それはそれで正しい場合もある。けれどできれば、最初は失敗したとしても、自分で金銭を管理して、親とは経済をなるべく離す方が、あとあと生きる上で結局「得」じゃないだろうかと思うことがある。最初から「この子(人)に金銭の管理は無理」とか、あるいは「一応年金を受けておいてそれは残しておき、親がいる間は親が面倒をみておけばいい」という方法をとるのは、お金持ちには簡単で子供をいつまでも手元に置けもするし、ある意味「支配」ができるので気持ちいい場合があるのかも知れないけれど、それだと当人の人生の可能性を狭めてしまう危険があると僕は思っている。
人(子)を「かわいそう」と見るのは親として当たり前の感情だろうけれど、そのことと、本人が判断できることまで親が判断してしまうということとは違うように思う。突き放すのではなくて、見守りながら距離をとるということがお互いにとって利益になるように思う。当人に人生の可能性が開けているのに(たとえば今僕が思っているように人生の連れ合いをもつことなど。)、「かわいそうだから」「親が面倒をみるのが当たり前だから」と、主要な生きる道具であるお金の管理も任さず、いや、それは任せてもあくまで「お小遣い」扱いで、生活の面倒は親が必ずみる。様々な判断も親が行うという姿勢を、内でも外でも取り続けたら、それは人のもつ可能性を閉ざしてしまう危険が大きいように思う。いや、閉ざしてしまう。親はそれで気持ちも安定するのかも知れないけれど、一人の人間の可能性を限定しているということの見返りとしては、あまりに少ないそれなのではないだろうか。
それで、逆に言えば僕は本当にしんどくなったら、たとえば親に援助を頼むことは堂々としようと思う。年金のような公的扶助についても考えたいと思う。別にメンツみたいなものがあって受けてこなかったわけではないし。

 

寒くなってくるとからだの動きもにぶるし、疲れやすくなる。なるべく動くことを考えて食器洗いとか洗濯とか掃除とかをするけれど、どれも体全体を動かすのでなしに、一部分に力のいることが多いので運動というのとは違っている。そのくせ、食欲はなぜかわいてくる。特に甘いものなんかが食べたくなる。意欲も減退するので、やっておいた方がいい作業や放送大学の勉強なんかもついつい後回しになる。試験はもう目の前だけれど、かんじんの勉強が進んでいないので今回はパスしようかと思っている。行って、どんな感じの問題なのかを見ておくのもいいけれど、一度パスしても再度チャンスはあったはずなので、勉強しなかったおかげで回答できない問題をむなしく見つめる時間を過ごすよりはパスしておいた方がいいかなと思う。第一、気持ちが国際政治どころじゃない。
久しぶりに(というか、これは制度上はおかしなことらしいのだけど。)母親の介護担当の方が家を訪問して下さることになったので、去年、歩行器を借りたものの全く使っていないことや、本人の生活リズムが乱れていて、昼間は横になっている時間の方が長く、夜中に起きだして時間つぶしにテレビを見ていることなどを伝え、なんとかリズムを整えていく方法がないかどうかということや、部屋の改装を親の利便をはかってやったけれども、これについて今からでも公的な扶助が受けられる方法がないものかを相談してみようと思う。
最近NHKからの受信料督促が届くので、通帳にお金が入っていないんじゃないかと父親に話すけれども、どれにも入れてあるはずだという。けれど督促文には金融機関から引き落とすには残高が足りないと記されているし、必ず自分でも忘れている通帳があるはずだと話したら、心当たりがあったらしく、夜にごそごそとそれを探して見つけたらやっぱり残高がなかった。
僕は、親がどれだけの通帳を持っているのかということと、それぞれの通帳がどれかということは今回のことを含めてだいたいわかるけれど、どれくらいの金額がそこにあるのかは全く知らないし、あんまり知りたくない。そして逆に、自分のことも親にはあんまり話さない。親にお金がそれほどないことは、今回の改装後に思い詰める母親の姿を見てもよくわかるので、それらにあまり期待もできそうにないことも感じる。NHKで見るのは相撲とニュースくらいだし、BSの契約はもうやめようか?と話したら「そうやな、そうしよう」という答えだったので、そうしようと思う。