ご利益


初詣に出かけた。もう年があけてから10日あまり。訪れる人も三が日と比べればずいぶん減っているはず。それでも本殿に近づくにつれ人が多くて早く抜け出したくなる。けれどお願い事もしたいからどうしても「突入」していかないといけない。列に並んでのお参りなので、「自分が早く済ませないと後ろの人が不満に思うだろう」という意識が先行しがちになり、落ち着いて、集中して、願いたい事を念じることがしにくい。結局、かなり無難な、文言だけを心の中でつぶやくことになる。
すぐそばでお守りを渡されていたので、「健康」も「安全」もどれもこれも今は要るなあ・・・と考えていたら、「心願成就」というお守りがあったので、それを授けていただいた。さて、いつも迷うのは「おみくじ」というやつだ。なにせ一年に一度、この時ぐらいしか引くことがなく、これによってその一年の方向性がだいたい決まるというのだからあんまり気軽に引くわけにもいかない。子供の頃、近くの神社で「凶」を引いて、それだけならまだしも、それをきっかけにしたことが今でも!心にうずくことがあるぐらいなもので。
しかし考えてみればここ数年は「凶」を地でいくようなものだったし、どうせ今年それを引いたところでそんなにびっくりすることもない。よし、ここは一発引いてみることにするかと引いてみたのだった。
 

すると結果は「末吉」だった。これなら、自分にしては上出来だ。「末」とはいえ、内容を見るといやなことも書かれていない。おみくじを神社で結んで帰る人も多いようだったけれど、「これは財布に入れておいてまた来年来たときに返してください」というようなことが書かれてあったので、財布に入れておくことにした。
鳥居を出たところに甘酒屋さんがあり、ガールスカウトの資金集めにもなっているということなので、安いこともあってひとつ頼み、床几に座っておいしく頂いた。寒かったのでよけいにおいしかった。お盆に載せた茶碗を返そうと立ち上がったら、あちらから、まだ小学校に上がって間もないような女の子がやってきて、僕のお盆を「ありがとうございました」と受け取ってくれた。その子供のかわいらしいことといったら(どんな年齢の人でも、相手の顔を見るのが苦手だから全体の印象として。)。
僕はその時に、人が自分の子供をもって「可愛い」と感じる気持ちが初めてわかった気がした。仕事がつらくても「あの子がいるんだからがんばろう」と思う気持ちがわかる気がした。そこで僕は、おみくじよりもそういう出会いがあったことに今回「ご利益」を感じることにした。
長い参道を帰りながら空を見上げると、冬の空を樹々の枝が覆って鳥が集まっている。参道沿いの流れを見るとその樹々が、今度は流れる水面に映っていた。
年明けそうそう修理に出したMacは、クイックガレージで異常が再現しなかったらしい。「どうしますか?」と尋ねられて、「自己責任ということで、やはり新しい電源に交換しておいてもらえますか?」とお願いした。費用はかかるけれどもAppleに修理に出すよりはるかに安くで済む。自分で電源単体をネットで探しておいて、いざとなったらそれを買って自力交換しようかとも思っていたけれど、その単体分の費用よりも安い。そして、戻って来たMacを使ってみるとまるで別人のように電源ボタン一押しで起動するし、スリープしても必ず復帰してくる。どのくらい再現性の検証をしてもらったのかわからないが、これは車なんかでもあることだけれど、いざ修理に出してみるとふだんはよく起こっていることがその時に限って起こらないというのは自分に限らずよくあることのようだ。
そうして機体も戻ってきたことだしと、11月に素材を渡してもらっていたものの作業をしようと思うものの、なかなか手につかない。「もう一ヶ月以上、そのまんまだなあ」とカレンダーを眺めていたら、ここ数日、朝方に「こんな時間になって、仕事に遅れる」だとか「今日は月曜なのになんで今まで寝てたんだろう」とか焦りながら目を覚まして、ようやく、「ああ、今はそれは気にしなくていいんだ」とほっとすることが続いているのに気づく。もしかするとその夢は、作業にかかっていない呵責が、知らぬ間に自分に見せているものかも知れないと思ったとたん「よし、手を付けよう」という気になり、昨日からとりかかったら案外進みだしたのでちょっとほっとしている。ただ、今からややこしい部分もあるので、それが厄介だなとは思いつつも、とりあえず、今朝は焦りの夢を見て起きないで済んだ。