
ひそかに、「自分の樹」のようだと思っている。それは少し遠い場所に立っていて、状態のいい時でないと出会いには行けないので、これまで3、4回程度しか行ったことがない。一度は残雪の時季で、その場所と気づかずにだいぶ通り過ぎてから「ああ、やっぱり通り過ぎたんだ・・・」と思って引き返し、ようやく見つけたものの葉っぱが落ちてしまっていて、そこらあたり、ずいぶん寒々とした風景だった。今度は、もし条件が整ったらまた暖かい時分に会いに行きたい。
年末になるとうつうつとしてくる。ずいぶん以前からこの状態を自分で「年末うつ」と名付けている。最近こそあきらめがついてきたのか開き直りか、ちょっとはマシになった気もするが、若い頃にはクリスマスだお正月だと世間がはなやかに慌ただしくなると、その世間から切り離されているという気分が昂じて来て、焦ったり悲しかったりした。高校から大学にかけて親族まわりが苦痛になり、お正月にも顔を出しにいけなくなった。それもまたそんな気分に拍車をかけた。今年は年内に親の診察結果を聞いておかなければならなくなり、その日が近づくにつれていっそう落ち込んでしまっている。
高校の頃、数学の教師に、「君らは(受験について)なるようにしかならない、と思っているだろう。そうです。なるようにしかならない。それは「どうにもならない」という意味で「なるようにしかならない」んですわ」と説教されたのを今でも時々思いだす。そしてあとあと、ずいぶん残酷な言葉使いでもあったなあと思った。けれど、自分にとってそれはある程度当たっていた。人生全般について。
それにしても、努力でどうしようもないことを考えたり想像したりして落ち込んでいるのはつらいので、なるべく動くことでこの気分を解消しようとしている。幸い(?)、改装後の家の中が荒れていて、親は片付けをあまりしないので自分が部屋の「床が見える」ように整理をしかけている。父親は衣服をハンガーにかけることを知らないようで、それらを一度ハンガーにかけて吊った。母親は衣服の整理をまったくしなく(できなく)なったので、衣装ケースはたくさんあるのに中に何が入っているのかわからない。これを一度整理しようと思う。
でも、両親の「名誉回復」のために書いておくと、二人とも若い頃から家事をこなしていくには忙しすぎる人たちだった。商売をしていたし、特にうどん屋だったので年末が近づくにつれ、年越しの時間が近づくにつれ、その準備に追われていた。母親は今でも「年越し蕎麦の配達が2時頃になった家があって文句を言われたわ」と話すことがある。

最近、父親が朝の番組に出ていたという知らせがいくつかあり、それ以前、父親自身もそのことを僕に伝えてはいたので、言われた局の言われた時間帯の番組を手当り次第にテレビにつないでいるハードディスクに録画予約しておいたらどれも違っていた。どうも局を間違えて覚えていたようだった。僕自身は特にどうしても見たいとは思わなかったけれど、今日の夕方、録画をしておいて下さった父の知り合いの方が、「お父さんがまだ(番組を)観てはらへんと言うてはったんで」と、レコーダーで番組を焼いたDVDを持ってきて下さった。「これはありがたい」と思ったものの、うちは最近、僕が唯一持っていたデジタル番組の録画再生に対応したレコーダーが故障した(させた!)ばかりだったので、もしかすると以前のアナログにしか対応していない再生機ではこのDVDは観れないんじゃないかと思っていたら、果たしてそうだった。「これは困ったな」と思ってパソコンにDVDをセットし、ごそごそしているうちになんとか観れるようになり、あきらめていた両親にノートパソコンの小さな画面で番組を見せたら、「ほお、テレビカメラって、えらいもんやな。あんなきたのう(きたなく)している場所でもきれに見える」と感心しながら観ていた。父親の出ている場面は3回繰り返して見た。
春の入院と退院以来、特に最近は母親は生活リズムもよくなく、しんどそうにしているので一度担当の介護福祉士さんに相談してみようかと思う。お風呂はもともと好きではないけれどデイの前には必ず入っていたのに最近はそれもしないし、少し動いてもはあはあと息を切らすことが多くなり横になっている時間が増えている。この間、直接本人に「僕が伝えるからデイの日を一日増やしてみたら」と話したけれど、「今はいいわ。行かないと、と思うと緊張するし」と以前と変わらないことを話す。ただ、診療所には定期的に通って体を診てもらってはいるものの、ここのところの具合のわるさは生活のありようにも関わっていると自分には思えるので、できれば一度、母親がなるべく気楽なかたちでデイサービスをあと一日利用できないか、お風呂にも気楽に入ったりすることができないか、電話の苦手な自分は手紙にでも書いて相談してみようかと思っている。