
比較をしたって仕方がないことだけれど。母方の従兄弟の結婚式のため、わざわざ(!)東京まで両親と叔母を連れて行った時、その会場で久しぶりにその従兄弟の弟(まあ、これも従兄弟だ。)と話したら、今はどこに住んでいるのかという話になり、僕がずっと子供の頃からの家のままだということを話すと、「地元密着型ですか?」とおもしろい言葉が返って来た。その従兄弟は名古屋の大学へ行ってそのまま院までそこに居続け、40になった時、就職口がみつかって、と同時に結婚し、今度はまた別の地方で相方さんと新しい生活を送っているようだ。そうして送られてくる年賀状には、旅行で、ニュースなんかに出てくる土地へ行っただとか、写真付きで報告が記されている。
僕も情けないものだ。確かに「地元密着」過ぎる。大学も少し遠かったものの通いだったし、第一、続かなかった。擬似的一人暮らしを、家から歩いても行ける所で(!)したこともあったけれど、その生活も続かなかった。親と作業所に関わって、その頃、まだ正式な職員さんもいなかったので自分には難しい行政への申請事なんかは父親に書いてもらっていた時もあった。そうしてもう半世紀近くまで生きて来た。「これが自分の人生、と言えるだろうか?」としばしば考えたが、こうなってきたのだから仕方がない。従兄弟の言う通り、自立できない「地元密着型」人生だ。
小さな頃、その従兄弟の家に行くとお父さん(叔父)の部屋は趣味のオーディオと本であふれていて、いかにも教員の、というよりは研究者然としたそれだった。うどん屋だった父親はそれに触発されたのだろう、その後しばらく、まったく方向違いの経済書などを買って来て本棚に置いたり、古いステレオでクラシックを聴いたりし出したが、それもそんなに長くは続かなかった。僕も家の経済が安定していて父親が勤め人で時に部屋で趣味にお金をかけていたりする生活だったらなと考えることがある。毎日、ほぼ休みなく店を開いて母親はうどんや丼物をお客に出し、父親は当時は重宝がられた出前に始終スクーターに乗って出かけるのを見ていた。休みの日、あまりに忙しい時にははし袋に割り箸を、弟といっしょに入れたりしていた。僕は学校で「うどん屋(店の名前)の息子」と言われるがいやだった。

その従兄弟、というよりは両親である叔父や叔母の「苦労話」を母親が話すのを今でもときどき聞くけれど、従兄弟ふたりに毎月これだけの額を仕送りしないといけなかったというような内容で、確かに学生や院生で決まった収入がなく、大都市でひとり暮らしをするにはそれだけのものが要ったには違いないだろうと理解するものの、従兄弟らからしたらなんて恵まれた環境なのだろうと思いながら聴くことが多い。そして、それだけのお金をかけてもらえるのであれば、あるいは毎月与えてもらえるゆとりがあると了解していたなら、自分ももう少し「外」へ出る機会も気持ちももてたんじゃなかろうかとも思ったりする。お金がないので高校は公立でないと困ると言いながら目の前に疲れた身体を横たえていた父親の姿を想い出すと、今でも公立受験に失敗して私立に行かざるを得ず、そこで神経症的症状を出しながら、けして充実しない日々を送った「青春」の日々が悔やまれるし、自分を責める。けれど弟は自分で自分の道をちゃんと開いて行った。公立高校から地元の国立大学に通い、奨学金を受けながら卒業して職に就き家庭をもった。するとやはり自分のこれまでの状態は環境がというよりは努力不足や資質・能力の違いに過ぎないということなのかも知れない。ただ、「障害」というにはまだ社会的認知の進んでいないそれがあり、学校時代は特別な支援を受けることもなかったし、大人になってから精神科デイケアや作業所に通う期間が長くなっても手帳を取得する気持ちになれなかったり、まして年金を受け取れることもなかった。
小学校の頃によく言われたのは、「あなたの弟さんはおもしろいね。あなたはおとなしいね」という言葉で、それを言われるとただ苦笑いをするしかなく、あまり気持ちがよくなかった。先生という人種は活発でおもしろく、社交的人格を好むのだということだけは嫌という程わかった。そして、一般に先生になりたいと望む人たちは、学校という場が自分にとって楽しい場所だったからそうするのだろうと、あとあとよく思い返した。けれども僕がここで今、従兄弟らのことを半分以上嫉妬混じりに自身と比較して記しているのが醜いように、先生もまた生徒同士を比べて「あの子と比べるとこの子は」という見方からは脱してもらいたい、とよく思ったものだった。「世界に一つだけの花」が、実際、この社会に存在するとどれだけの人が考えているだろうか。以前、施設で働いていた頃、夜になって隣の人と二人パソコンを叩いている時、「わしの代わりなんか、なんぼでもいるからな」と盛んに言われていたのを覚えている。そう、僕の代わりもこの世になんぼでもいる。僕は「地元密着型」で家を離れることもなく、今、日々できるのはせいぜい子供の頃から暮らして来た部屋を整理することぐらいだ。しかしその部屋の壁もすでにぼろぼろだ。こちらまで手を回す余裕はない。
改装が終わって、あとひとつ気になるところについては、この間ホームセンターのリフォーム部門を見に寄ったときにちょうどいい感じの商品を見つけた。定価だったら手が届かない感じだったけれど、今は販売に力を入れている時期だそうで、見積もりに来てもらったら定価の4割で付けられそう。これと「エアコンは自分が付けるわ」と親に大見得を切ったので改めて自分の通帳をみてみたら、仕事がやっぱりみつからない時のつなぎにと思って前の仕事の時から始めた少ない定期の分まで崩さないといけないようだとわかり、我ながらそれは避けたいなと思う。思うけれども親がいてくれる間に家の状態をより良くしておくのは無駄なことではないと思うので、いざとなったらそうするだろう。
ここのところ、過去についてわるい夢を見て起きることが多い。「うなされる」ということが本当にあるんだろうかと思っていたけれど、最近はあるんだなと思う。そうして汗をかくようにして目を覚ました直後、「ああ、夢で良かったぁ・・」と声に出して言っている。嫌われる人生を生きている。