人との関係を持とうとする時に特に現れやすいのが僕の持つ発達障害の特徴です。
なぜかはよくわからないけれど、特に集団の中へ入ってしまうと対人関係の下手くそさが顕著に出る。それが一番わかりやすかったのは、人生の初期においては学校生活だったし、中期から現在に至るまでなら仕事環境においてでした。学校生活は、そのほとんどが緊張と不安とこわさと向き合う日々だったし、幼い頃からの惰性で続いていたような友達関係がなくなった高校生活あたりになると、神経症的症状が出始め、授業はなんとか聴くけれども休み時間は机に突っ伏しているという状態でした。
仕事場ともなると、机に突っ伏しているわけにもいかないので常時人との関係を持ちながらとなるわけですが、すぐに自分を怪訝に思うような人を作ってしまったり、それが怖くなって「なんとかならないものか・・・」と考え込んだり、それが仕事に影響してうまく事が運ばなかったり。それと共に今だからわかることですが、発達障害の特性が直接業務にわるい結果をもたらすということもありました。人が理解できることがストンと胸に落ちずに作業をして失敗したり、何から手をつければいいのかわからなくて困ったり、自分なりの頭の経路を使ってやったことが人にはなかなか理解されづらいことだったり。そもそも環境そのものが自分の特性と合わなかったり。それでも経済が大切なのでなんとかしばらくは続けるのですが、最後にはこころが疲れてしまってやめるということを繰り返してきました。
この障害、なかなかの曲者です。一番それを感じるのは、「この人は別に障害なんてないんじゃないか」と思われることです。
確かに、一旦外に出れば人との関わりや勉強や仕事について、他の人と合わせよう、遜色なくこなそうと努力しますから、場面によっては「障害などない」と判断されがちになる。ただ周囲と積極的に関わろうとはしないし、働きかけられてもニコニコして何も返事をしなかったりする。すると、それを人は障害を何とか「いなし」ながら周りに適用しようと努力している・・・とは見てくれません。
「何だこいつは。同じクラスメイトなんだからもっとみんなと関わったり話したりできないのか。」とか、「みんなで仕事をしているのに、この人はあまり協調的ではないな。もっと積極的に仕事に関わって欲しいし、それ以前に人との関係をきちんと取る努力をして欲しい」という風に見られるようになります。そうしてだんだん周りとの距離が遠くなっていき、それを修復するのが不可能なところまでやってきます。いや、努力してるんですけどね、自分なりに。
ともかく、「人との関わりを普通に取ろうとしない」、「仕事ができる時もあれば、「どうしてこんなことができないんだろう」という時がちょくちょくあるな、この人は」全般的に、「もう少し努力すればいいのに・・・」と思われるだろうことが多い生き方でした。
反面、そういう集団から外れた場面での、せいぜい二、三人の関わりでは普通に(と言っても少しずつずれてくる部分があるのですが。)できていることもあるので、余計に周囲から怪訝に思われる。
普段、一人でいる時には抑うつがあってそれが辛いのと(大うつとの違いは、生活能力が極端に低下してしまう訳ではないこと。けれども引きこもりや物事への関心が薄れる、楽しめない、意欲がわかないなどということがあります。)、悪い記憶や今や将来への不安や不満がなかなか心からどいてくれずに困る、それで悲しみが湧いてきたり怒りが出てきたりするということがある。実行に至る心配はないと自分でも思うところはあるし、周りも思うけれども、自分などいなくなる方が良いと思うことはほぼ毎日だし、こういう抑うつ傾向というのは大うつのように突然強烈なパンチを浴びせられるのとは違うけれども日々ボディーブローを浴びているようなもので、これが重なるとかなり効いてきてやられます。
幼い頃から親族の中にいるのが嫌で、出かける時にはいつも車の中で泣いていたものでした。学校は?就職は?とうるさくなってきた頃から、親族との関わりはなるべく避けるようにしてきた。それは今も続いています。それでも不幸なことが起きたりすればそれにはやはり出かけて行かないといけない。
数年前、叔父が亡くなりました。父親の兄にあたる人です。その叔父が闘病している時、病院へは一度顔を出したけれど、父親を何度か叔父の家まで送って行った時には自分も一緒に顔を出すことはしなかった。もう何年も親族との関わりを持っていない僕が突然療養中の家に顔を出したら、叔父が自分の病状についてよほど重いのかと心配しやしないだろうか・・・と思った。これが僕の独特な思考経路だったのかどうかわからないけれど、ともかく父親を叔父の家まで送り届けることは何回かやっていました。
その後叔父が亡くなって、その法事にも出た後しばらくしてから、叔父の息子=僕にとっては従兄弟から、「もう親戚事(こうした不幸に関わる諸事)は(お前のところでは)起こしてくれるなよ!」と怒鳴られた。一緒にいた弟にはそんな言葉はなかった。僕だけ怒られた。思わず「はい」と答えたけれど、今から思えば何がはいだったんだろうかと思います。そもそもそれまでうちでは幸い不幸なことも、自分に限って親族が集まるほどの幸せ事もなかった。叔父が亡くなったのでそのお見舞いや父を送り届ける事や、最後の儀式には出た。なのにどうしてその僕が「もうそういう事はお前のところでは起こしてくれるな、面倒だから」と言われなければいけなかったのか。逆じゃないのかと、後から思ったものでした。
最近はその時の事が毎日頭の中でなんども繰り返されます。では、いざうちで親族を巻き込む出来事が起こったら、従兄弟はどういう反応を示すのだろうか。それに対して自分はどうしていればいいのだろうか。そもそも逆じゃないの?・・・
こんな毎日のボディーブローには参ります。疲れます。悔しいです。生きていたくなくなります。
“日々続くボディーブロー” への2件のフィードバック
僕も小学生の時には発達障害のけがありました。でも教育学部附属中学の時に爆発的に発達したときに吸収してしまいました。でも対人関係の悩みは高校の卒業まではありました。思春期を過ぎたら苦しむことはなくなったのですが、辛いですよねあれ。
こんにちは。
ボクシングという競技を障害を伴う生き方と重ねてみました。
相手にもよりますが、ボクシングで大切なのは試合中どれだけの体力を残せるかであって、決め手のパンチを食らったときでもそれに耐えられるかどうかが勝敗を決めるように思っています。(人生に「勝ち負け」はないのでしょうけれど。)
こころの体力を、子供の頃から、あるいはまた大人になっても日々奪われることが続くとそれはしんどいことだし、そんな中である時たとえ小さな「パンチ」を受けたとしてもそれが自分にとっては大打撃になり得ます。
こころの体力を消耗することがあってもそれを補う何かが小さな頃からあったらよかったのになと、今さら思うことがあります。今はお医者さんや相談機関と繋がれてはいますが。
コメントありがとうございました。
※障害関連の文章には割合アクセスを頂くので、団体が特定できる部分を修正させて頂きました。ご了承ください。