どこか自分一人だけしかいない寂しい場所に行きたいなあと思う。その時には、親の健康とか犬の世話とか自分の経済とか、そういう余分な要素はこころの中になく。
最近、写真を撮らないので過去にとっておいたものをフリッカーから探して適当にダウンロードしたりしてくるのだけど、その際、過去の光景がどんどんと目の前を流れて行くたびに、親が今より元気だった頃のことやら昔飼っていた犬のことやらがまざまざと想いだされてしんどくなる。だから写真はまだ、自分にとっては振り返って見るものではなくて、新しく出会う光景を写し取るものであるべきだと思う。
あんまりひきこもっている時間が長く、仕事もしないので、見かねた民生委員さんに社劦へ連絡をとられてしまった・・・というのはわるい見方で、とってもらった。
20代半ば、一度はアルバイトに出て何年か続いたものの再度ひきこもった時にはこころをだいぶやられていたので保健所で相談をしてデイケアに通うことになった。あれから20数年を経てまた、振り出しに戻る、の気分でいる。
MacBook Airはもう修理に出した。実はこれが三度目の修理で、保証期間ももうすぐ切れるので残っている価値分をポイントに換えて新機種(といっても中古だけれど。)を購入したらどうかという提案もあったのだけれど、そうするとOS10.6が使えなくなる可能性がある。するとアドビのソフトとの適合性が保証されなくなる。
Macを買うときに悩ましいのは、その時買ったMacに入っているOSより以前のOSをインストールできないことで、お金があって、仕事で使うソフトも一緒に最新の物に更新できるんだったら機体の更新も躊躇なくできるけれど、実際はそううまくはいかない点だ。なのでもし今度機体を更新するとしても、僕のばあいはOS10.6が稼働するMacで程度のいいもの、を探すことになる。
ドラマも秋のシーズンに入ったのでいくつか見ている。「校閲」をテーマにした「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」とか、ガッキーの「逃げ恥」とか。校閲はドラマでその内容を教えてもらっているようなものだけれど、言葉の正確な使い回しや用語の的確さを追求するあんな仕事ができる能力が自分にもあったらよかっただろうなあと思える。ガッキーのは、事実婚相手の男性が「できるプログラマー」なのがうらやましい。あれも僕にはない能力だから。あともうひとつが、原田知世さんの出ているNHKの「運命に、似た恋」、これも見ている。こちらはもうただただ原田知世さんを久しぶりにドラマで見かけてうれしかったのがきっかけで。ツイッターで友達とストーリーを想像したりし合いながら楽しんでいる。