涼しくなり、ホッとしている。多分、障害の特性とも関連しているかなと思うのだけど、改めて、厳しい暑さ、寒さ、湿度の高さ(低さ)に弱いなと、自分について思う。普通なら「そこそこ快適、エアコンはギリギリ要らない」というような環境でも、自分にとっては多分、少し快適じゃない。なので時々、夏場でも滅多にエアコンを使わない人とか、車に乗っていても極力窓を開けて入ってくる風のみで過ごすという人もいるけれど、僕は自主的にはなかなかそうなれないなと思う。
夏場、親の健康問題で悩んだ時期になったけれども、それとともになるべく家の光熱費が抑えられないかと自分なりに考えてみたのは、日中はエアコンがほぼ付けっ放しの親の部屋で過ごすこと。あるいは少くとも一階で過ごすこと。
強い太陽光の下ではまず二階の自室は相当な高温多湿状態になるから、そこを無理やりエアコンで冷やすのは本当に経済的じゃない。一階にとっては二階がまず「断熱材」の役割を果たしてくれるので、とにかく一階にいるだけでも省エネになる。これは冬でも同じ。そんなことに今更気づく。
その一階は北側の壁の中を、去年以来長く間をおきながら腐ったところをなるべく除き新しい断熱材を入れ、水が入って表面にシワのあるところも出てきていた天井板は張り替えた。南側の天井はまだ健全なところが多いし北側同様に張り替えるのは手間だったから、そちらは似た色のペンキで塗った。残っているのは北側の窓枠に新しい板を張ることと、壁紙を貼ること。収納部分の壁はまだ断熱材も入れず壁も貼れていないので、それをすること。なかなかまだ手間の要ることが続くけれど、それらを進めながら自分の生活の中心を一階に移して行こうかなと思っている。あと、洗濯機と乾燥機の場所を使いやすい位置に変えようと思っている。
honor6Plusで露草を撮ったら水玉によく焦点が合ったので気に入って壁紙にも使っている。この水玉、かなり拡大しても葉っぱの脈が玉の中にも確認できる。予想通りiPhone7Plusのカメラはダブルレンズになったけれど、やっぱりこの方式が薄い板としてのスマートフォンのカメラの進化として合理的なんだろうなと思う。けれど、それにしても今の社会で最新のiPhoneを持つためには相当お金が要るようになってしまった。
お金といえば、そろそろ、というか、もうだいぶ前から自分が一人になった時の生活の事を考えておかなければいけないはずだったのに、次々と目の前に起こってくる、主に親の老化による生活の変化に対応するのが精一杯で、それはまるで考えることができていない。とにかく、一緒にいて様子を見ていないと何かおかしなことが起こる。例えば父親の薬を一週間分、箱の中で分けて置いておいても、本人は「飲んだ」というのに見るとその日の分がそのまま残っていたりする。今日もそんな調子だったので袋から直に取って飲んだのか?と聞くと、朝に飲んだかな?などという。朝に薬は処方されていないからやはり飲んではいないのだと気づく。どうも昨日のことが今日のこととして認識されていたりすることもあるらしい。
外に出るのが好きな人だから、その時間も心配になる。退院してきて一、二週間は外でもほぼ行動を共にした。そうでもしないと疲れがわからずに動きすぎてしまったり、暑さがわからずに外にいてしまったり水分を取らなかったりするから。かといってずっと父親と行動を共にしているわけにもいかないし、それは不自然なことだとも思う。実際、涼しくなってきて自分一人で動く時間が増えた最近の方が、父親としても気分的に楽なところが多いようだ。弟に言わせれば父親は最後まで動いているだろうと言う。今度同じことが起こったらダメだろうとも言う、そういうことは僕も予測はできる。けれど一緒に生活をしていて当人の様子を日々見ている時間が長いと、それがなかなかしんどい。
母親にはヘルパーさんを付ける時間を増やした。それは自分が家事をする気力を落としたということも理由としてある。どうしようもない症状で体を痛がるので、どうしたらいいかと考えて、本人が一番楽だというマッサージの日を週にもう一日増やすことにした。
こういう状態だと、先のことはわからないにしても家で自分ができる、お金になる作業がもう少しあったらなと考える。今の作業の倍くらいになるとしても日々働いているのと比べれば本当に知れているけれど、それはそれでだいぶ助かるのだけれど。