痰の処理で終わる話

いつの間にか桜が散って、緑の時季になっていた。僕のこころは2月から3月にかけて続いた親の体調の変化をきっかけに、緊張はやや解けてきているにしても固くなり、貧弱になっているようにも感じる。こうして文章を書いていても、書き続ける力が途中で失せてしまうことがよくある。独り話しかけるような文体で書くことも、あまりとりたいと思わなくなっている。
写真のことで言えば、庭の花を撮るときなんかはようやく一眼レフカメラを持ち出すようになった。ただ、一眼レフカメラなのに持っているレンズが一つだと、贅沢な話、カメラを使う意欲がいまひとつ失せる。何か、本来持っている能力の半分も使えていない気持ちになってしまう。もう一つは、今のスマホで撮る写真と一眼レフで撮る写真との差を、接写や解像力?の高い画像を得たい時以外にあんまり感じない。場合によってはスマホで撮ったものの方が良く見える場合もあって、これが一眼レフを持ち出す意欲をそぐ一因にもなっている。
ファーウェイは、レンズが二つ付くカメラにこだわっているようで、まだ日本では発売されていないけれど「P9」という、ライカと共同開発したレンズ機構を持った機種を市場に出し始めた。この方式はアップルも将来採用するという噂がネットではあって、iPhone7あたりではもしかすると二つのレンズを持った機構が採用されるのかも知れない。ある意味「先取りのパクリ」なのかもしれないけれど、ファーウェイがhonor6Plusでそれを採用したのはスマホカメラの正常進化をまず示したということなのかも知れない。

気温が高くなると僕は頭痛を起こしやすくなる。これは20代の頃からそうで、中年域に入ってからますますその頻度が増えた。一度病院でMRIを撮ってもらったことがあるけれど、その時には「特別何も(腫瘍など)できているわけでもないし異常は見られない」ということで一般的な頓服をもらうだけに終わってしまった。けれど激しく動いた後や気温が上がった中にいる時、たいてい頭が痛くなってきてそれが長く続く。バッファリンやロキソニンを飲んで治る場合もあればダメな時もあり、仕方なくアイスノンを頭に当てながら、痛みで不快な気持ちを我慢して横になることもある。
昨日もそうだった。母親をクリニックと洋服店に連れて行った待ち時間、犬を散歩させているうちは大丈夫だったのに、帰ってから疲れを感じるようになり、ご飯の支度をしてテレビ(BSのシャーロックホームズ)を見ている間にだんだんと頭が痛くなった。すぐにも薬を飲みたかったけれど自室へ戻る気力もなくそのまま横になってテレビを見終えてから歯を磨き、着替えなどしてようやく自室に戻りロキソニンを飲んでアイスノンを頭に当て、YouTubeを聞きながら(これは恒例になっている。ナイナイのオールナイトニッポン。騒音には過敏なのに眠る間際には何か意味のある音がないと不安で眠れないように感じる。それが「くだらない」ものであっても!)寝た。一度目覚めかけたけれどまだ暗い様子だったのでもう一度寝て目覚めたらうっすらと明るく、スマホを見たらまだ5時台だった。頭痛はだいぶマシになっていた。
子供の頃から疲れやすかった。顔色が青白いことをどこに行っても指摘されたけれど、そればかりはどうしようもなかった。夏、弟と同じようにプールに遊びに行っても、その時だけやけどをしたみたいに赤黒くなるだけで、それもすぐに元の不健康な白さに戻ってしまう。10代後半になっても疲れやすさは変わらず、特に人中に出て行く時、親族の中に入って気をつかわなければいけないと思うときなどは横になって寝ていることがよくあった。肩が凝るのも子供の頃からで、父親に「揉んで」と頼んでいた。その時にはとても気持ちが良かった。喉に痰が絡んで夜中によく咳払いをしていたら、ある時母親から「うるさい」と言われて、それ以来少し遠慮しようと思うようになった。他人も気にしているのに違いないという気持ちになり、人前でのそれには特に神経質になった。
ところが逆に、我慢して痰を静かに飲み込むようにしても、今度はその様子が隣の人に伝わってやはり不快なのか、真似をされるようなこともあり、このことについては今でもどうしたらいいのかわからなくなっている。
(写真は、最後だけ一眼レフで撮った一枚。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です