昨日、人に譲って足しにしようと思いながら古いiPodの動作を確認していたら思いの外いい音がするし、今は採用されていない実際にくるくると回るメカニカルなホイールやスイッチの手触りがとてもいいので、なんだか人に渡すのは惜しくなってきた。この際、背面のアルミについた傷を磨いてできるだけきれいな状態にし、自分で使おうかなという気もしている。
今、車内で使っているのはiPodの5世代目のもので、こちらもあまり外観にこだわらないで使ってきたものだから背面のアルミ筐体に傷がたくさんついてしまっている。これをとるには専用のクリーナーがいるらしいのだけれど、ネットで100均商品を利用しての磨き方を紹介している人がいたので、一度その方法を試してみようと思う。
暖かくなるにつれて、やっぱり去年の末からほっておいた壁の修繕をやってしまおうという気持ちになってきていて、壁面を石膏ボードで覆う作業はあと少しのところまで来た。ところがこの作業をやると後ですごく疲れがくる。まず腰がやられる。辛かったのでこのあいだの診察の後で薬局に寄った時に腰をサポートするバンドを買った。これがあると多少はマシな気がする。でも石膏ボードは本当に重い。壁さえなんとかなれば天井は古いものを落としてしまった後に残った桟に上から合板を打つだけにしているので一応それで一区切りにはなる。
家での依頼作業は、もう校正用原稿を先方に送っているので今週中にはまた来訪があり、修正すべきところがわかるはずだ。今回、画像がとても多くて、後のことを考えてその処理は全て原寸大で終わっているので、もし画像のサイズ変更やら差し替えやらが多いとしたらそれが一番つらい。この作業の報酬は全て貯金にまわそうと思っている。どのみち今貯金を少しばかりしたところで、この先親に異変があったりすれば自分はもう生活保護レベルの状態になり得ると思うのだけれど(親の蓄えを当てにしないとすると。)。
行政の障害者への就業サービスは40歳あたりに区切りがあるようで、それだと相談のしようもないなあと思う。そこで福祉サービスの方での就業を考えてみようと思っても、自分の場合はこれまでその方面で「世間を狭く」してきてしまっているし、障害者職業センターにその情報もないとなると、ではもう一度狭くした世間へと自ら無理矢理頭を再度突っ込んで行かざるを得ないか、あるいは人伝を頼りにしないと仕方がないのかなあと思う。けれど自分にはそんな伝はもうない(だろう、おそらく。)
問題は福祉的就労でさえ、当事者としてそこに入っても働き方がブラック化しているということで、こればかりは体験してもらわらないと決してわからないように思う。そして全般に仕事の口は若い人へと優先的に回され、50も過ぎていれば年金を受けられるなら受けるか生活保護でも考えましょうというのがこの国の福祉の方針となっているのは事実だと思う。そしてその道さえ険しい。
皮肉になってしまうけれど、ちょうどいい具合に!その頃合いになると親がいればその健康問題に足を取られ、当人も疲れていて仕事への意欲も削がれている。若い頃からの傷つき体験の重なりで疲弊してもいる。
僕は、20歳代の頃から周りで障害年金を受けつつ、送り迎えつきの福祉的就労をする人をたくさん見てきた。なぜ自分はその中に入れなかったのだろうと今は素直に思う。「障害」というものを心身の不具合のみで判断するのできっとそうなったんだろうけれど、バイトやパート、ブラック化した福祉施設での就労を経てきてなんとか自分の使う分を得てきた身からすると、今の年金制度やその前提となる診断基準にはかなり不公平があるのではないかと思っている。今でも、例えば僕と同じ年齢になっていても家から外へ出られないという人はたくさんいるだろう。それは大きな社会的障害と言えるんじゃないかな。
世間を見るという機会を若い頃から逸してきたということは、これは救いの対象にはならずただただ当人の甘えなんだろうか。あるいは、苦しいけれども外に出て、「あいつが病院に行く必要があるか」「暗い」「燃え尽きている」などと陰口、表口を叩かれながら、職員に日が変わるまで残業を強いられながらの福祉的!就労を経ながらなんとかやってきても、待っているのは老いた親の介護と医療のことやその後の自分の生活の仕方、今よりいっそう年齢を重ねた自分のそれを考えないといけない状況というのは、少し、不公平なんじゃないか。
それにしても手帳2級を持っている「立派な」障害者である自分が、なぜ親の介護や医療、その後の自分の生活の仕方に至るまで、あれこれと日々アタマを悩ませないといけないのだろう。何かの罰ゲームなんだろうか、この人生は。
とかくと何かと批判されることになるのだけれども。