今日も起きたらお昼をまわっていました。ひきこもりだすと生活リズムがあっという間にずれていきます。僕は小さな頃からよくあくびをしていました。よく寝ているはずでもしばらく人の中にいると眠くなってくる。それであくびをする。ずいぶん前、職場でそれを指摘されてからはあくびが出そうになっても注意するようにしました。一度注意しようと思ったことはだいたいその後も守れることが多いようです。「だいたい」です。「完璧に」ではありません。一応、「ああ、あのとき注意されたな・・」とその度思い出すので。
以前、福祉施設にいたとき苦手な朝起きと遅くまでの仕事時間が連日で、お風呂に入ったりシャワーさえめんどくさい時が続いて、タオルを濡らしてからだをふく程度で次の日また仕事に行くことを繰り返していたことがありました。すると職員さんが夕方人のいない頃を見計らって僕の席までやってきて他の方のからだの臭いについて話をしていかれる。僕もその方については確かに不衛生な状況におかれておられるから臭いがするんだなと感じていたので話に応じていたんですが、実はそのとき、どうも僕自身もよく!臭っていたようです。
そして職員さんとしては、他の方にかこつけて僕自身の不衛生さを知らせたかったのだと気がついたのは、その場を離れてからしばらく経ってのことでした。
「それならそうと伝えてほしかった」
そう思ったものです。直接に「あなたは臭うよ」と言われたら、その時はびっくりしたり傷ついたりするでしょうが、それ以前にも、たとえば顔の意外なところから毛が伸びているのをそのままにしていたり、フケがたくさん出る体質もあって服にそのままつけていたら注意してくれる人はいました。それも大勢の人の前で!でもそのおかげで僕は今はできるだけ言われた部分について人に不快感を与えないように注意をしているつもりです。(できていない部分も多いと思いますが。)
だからあの時も「あの人も臭いがするけれど、あなたも同じように臭いがしている。おうちでお風呂に入るのはしんどい?」とか、なんでもいい。指摘をしてもらいたかったと思います。「顔色がわるいよ。疲れがたまっていると思うから早めに帰った方が。」とまで言えるのなら(でも担当の職員さんと所長さんが早く帰るのを許してくれなかったからそうしたくてもできなかったんですけどね。)、臭いもしていたこと程度もそれに付随して伝えてもらえたのではないか。
たぶん定型の人は当人が傷つくだろうと思うようなことを「示唆的に」「間接的に」伝えようとするんでしょうね。でも言われてもそれがその先長い間自分にとって利益になることなら、いっときの「傷つき」はすぐに忘れられます。からかいで言われるのはいやだけど、こちらを思ってのことであれば、相手のことをその後長く恨みに思うということはこれまでも決してなかった。
僕は相当具体的に伝わってこないと物事がよく理解しづらい。なんとなく嫌われているなあと感じることが多い人生を送ってきましたが、それはたぶんこの特性のためではないかと今は思います。
おそらく相手の方々!にしてみると僕について不快だと思われるようなことが直接的に、あるいは間接的に体験されることがあったのでしょう。けれどこちらはそれを具体的に捉えられていないので、「何か嫌な顔をされる、避けられているな」という思いをもつだけになることが多いのです。「えっ!なんで?どうして?」となります。
自分としては特に相手に不快な感情をもたせることはしていないと思っているのに相手の反応がどうしてか悪い。その時は最悪です。心の中がそのことで占められるようになり、出来るだけ相手に不快感を与えないようにするにはどうすればいいのかをいつもぐるぐると考える。心からそのことが離れなくなる。
20代の頃、精神の社会復帰教室に行き始めたときに、出会うと不快な表情をする保健師さんがおられました。それがどうしてなのかが気になり始めてもう止まらない。そこで考えたのは、
「世間ではよくしてくれる人もいるけれど悪くあたってくる人だっている。ここはその世間に出る練習をする場だからあの保健師さんはその「悪くあたってくる人の役」をしてくれているのだ。僕の社会復帰にあたって、保健所全体で演技をして下さっているのに違いない」
ということでした。これはマジでそういう結論に至っていた訳です。今から思えばものすごく妄想的ですが、当時は真剣だった。
・・・でも、たぶんそうじゃなかったのですね。何か別に具体的な理由があった(それはその方自身の問題かも知れなかった。)。そしてそれは僕個人だけのことでもなかったのかも知れない。
僕には、特に人と絡んで具合のわるいと思われることについてはなんでも自分に引きつけて物事を考える習性があるので、このケースは直接僕個人には関係のないことだったのかも知れない。
もちろん、人が具体的に悪意をもって対応してくるのがわかる場合もあります。グーやパーで殴られた中学時代、からかわれながら数人で他教室に連れ込まれていた小学生時代、かくれんぼをしてもカードでめんこをしても、周りで示し合わせて僕一人が常に不利になるよう仕向けられた幼少の頃。
でもそんなとき、支えになってくれる子もいました。大人は、つまり教師はおおかた理解してくれる人は少なかった(ように思えてならないのです)。苦手な図画工作や技術、算数や音楽など、できないと補習。みんなが帰っても学校に残されてやり直しをさせられる。補習といっても改めて丁寧に教えてもらえる訳ではなく、「出来るまで残れ」という「補習」。そんなの無理に決まっているのに。出来ないからその結果が出ているわけなので、わからないところや不器用なところを丁寧に教え直し支援する工夫をしてもらわないといつまでも出来るわけありません。でも僕が子供の頃の教師は、少なくとも自分の体験では、そうして「なんで私の教えがわからないの!」と憤慨するタイプの人が大方だった。
あと、いつも言われたり通信簿に書かれる「あなたはおとなしすぎる」攻撃!「もっと人と協力してクラスの行事をがんばりましょう」攻撃!あれも参った。だからそれは自分でももちろん望むことなんだけど、自分でもわかっているんだけど出来なかったことなんですよね。小学校のとき、場面緘黙症をもつ女の子がいたのですが、その子への対応で今でもひどいなあと思い出すのは、教師が自分の席までその子を呼び出して皆の前で「なんか話してみ。少しやったら話せるやろ!」と説教していた場面。あれは子供心にもひどいことをするなあと思っていた。
あと、当時の学校という場はいろいろと勘違い先生が多かったなと思います。関わりの苦手な僕も、さっき書いた支えになってくれる子の間にいるときは割合安心して集団の中にもいれた。ところが中学2年になる時、クラス替えでそういう子たちとひとりだけ、見事にクラスを離された。あれはこたえました。なんでそういうことをされるのか。当時考えたのは、自分自身が特定の子としかつきあわず、クラス全体、あるいは学年全体での行事などに「消極的」なので、ここはひとつ、固定した仲間と離してコミュニケーション力を養ってやろうと考えられたんじゃないか、ということでした。いや、単なる偶然だったのかも知れませんが、もしその読みがあたっていたとしたら、それはまったくとんちんかんな仕掛けだったと思います。僕は中学2年になったその時からより一層、大人の今に通じる対人コミュニケーションの苦しさを本格的に味わうことになりました。はっきりと覚えているのは、あの頃あの時あの日、「もう僕は人と関わろうとするのをあきらめよう」と心に決めた瞬間があったことです。その時のことはまわりの情景も含めてよく覚えています。
ともかく、僕に「示唆」は効きにくいのだなと今更よく思います。悪いことにせよ良いことにせよ、具体的に伝えられないと両者ともに困ったことになります。それと言われていることは具体的で悪意はないとはわかるけれども、やはり「まだ示唆や含意があるようだ」とこちらが勝手に考えだしてしまう要素のあるとき。その後悶々としてしまう。めちゃくちゃエネルギーを使ってしまう。
最近は父親が毎日夕ご飯の買い物に誘ってきます。ひきこもってばかりなのでそれを心配してが半分、そしてもう暗くなるのが早くなってきたので運転を僕がしないと危険ということもあります。今日は壁の修繕をする際に剥がしてしまった防水紙(透湿紙)の足りない部分を早く手に入れたかったので少し遠くのホームセンターまで行って、ついでに夕飯の買い物もしたら往復にえらく時間がかかりました。母親は自分の症状のこともあり、決まった時間に食事をしないと体調が悪くなる場合があるのでそれが気がかりでしたが、やっぱり我慢して待っていたようで気の毒なことをしてしまいました。けれど家での食事は母親の場合、かなり偏っていると感じます。極端な時にはお菓子を食べておいたから食事はそれを代わりにすると言ったりします。栄養的にはどうなのだろうと心配になります。デイに行く日は食事が出るので少し安心しています。
僕は過食はないのですが食べる時間がわるく運動が足りないので太るばかり。最近になりまた食事の用意や机にそれを並べること程度はできるようになってきました。でもすぐに疲れがくるので夜少し眠った後起きだしてから食器洗いをするというパターンになっています。ついでにラーメンを作って食べたりする。一日三度は守っているかたちだけれども、それではやはり時間帯としてだめなわけです。