「ウツやわ」と言われてから一ヶ月ぐらいか。ウツではないと最初から思っているのだけれどその傾向ではあるのだなとは思う。親との接触でいかりと次に来る落ち込みが誘発されていたことが多かったので、しばらく食事も別にとっていたけれど、それも最近はいっしょにとれるようになった。ただ、母親と何かしら大切なことで会話の内容が深くなりそうになったら、またいかりが出てくる前にもうまったく話を聞かないようにするか、その場を離れるようにしている。
外に出なくなった。全般に生活に楽しみが見いだせなくなっている。子供の頃から人生から切り離されたような悲しさをよく覚えた。最近、どうしてかその頻度が減り、生きることについての疑問や、他の人を見て(自分はなんて駄目なんだろう、あの人はああして仕事をしてがんばっているのに俺は・・・、あの人は家庭を築いているのに俺は・・・)などと悲観したりひがんだりすることが多くなっている。(なんだ。みんな結構しあわせなんだ・・)と感じる。「比較をするのなら自分の過去とすればいい」と聞いたことがあるけれど、今の方がだめだと感じるのなら、その方法はとれないなと思う。
仕事といえば、福祉の場でさえ発達障害はあっても知的障害がない人間については適当な場所がないか、とても少ない。ネットを見ているとやたら老後の生活不安をあおる本などの宣伝文句が目に付いて将来の不安を誘ってくる。余計に生きる意欲がそがれる。
テレビはつまらなくなった。うるさくて安上がりのバラエティ番組が多く、ドラマもじっくりと見れるようなものがない。第一今はあんまりテレビを見る根気が続かない。
ひとつだけやっているのは家の壁なおし(壊し?)。長年、養生もせずに放っておいた古い建物の壁から水が浸入して、壁の中の木部や断熱材を腐らせ臭いを出すまでになっていた。ずっと放っておいたけれど、そのままでは人に家に入ってもらうこともはばかられるし、衛生的でもない。一度、修繕の見積もりをとってもらったら「ありえん」という金額だったのでがっかりしていたけれど、家の四面に足場を組んで全ての壁をチェックして新たに塗装しなおすという話だから、その額になるのも無理はない。
それならばと、その直後から考えていたのはともかく内壁をはがして(これは薄い合板なので割とすぐに外せる。)断熱材を取り除き、腐った木部も取り払って交換できるものは交換するというやり方。外から壁を直すのが本来なんだろうし、おそらくそんな素人の試みは無駄に終わる可能性が大きいのだろうけど、ともかく今のまま放っておくわけにもいかないので、散歩とかには出れなくてエネルギーも出しにくい中、適当にからだを疲れさせる意味合いも兼ねてやっている。
すごくホコリが出るので父親に手伝ってもらうわけにはいかず、不器用この上ない自分が数百円のマスクや手袋と、既存の道具で壁を剥がして、空いている穴をコーキングしつつ腐った木はどけている。断熱材は長年水を吸って(外から侵入した水と結露による水分)中にはカビも出ている状態で完全に駄目になっている。これらはそっと袋に入れて、いずれ業者に処分を頼まないといけない。
水がどこから漏れているのかを判別するのはとても難しい。明らかにこことわかる部分もあれば、今のところまだわからないところもある。からだの疲れは、今は以前より大きいので本当に少しずつしか進まないけれど、一日をほぼベッドで過すほどの状態からは脱して来たので、運動がわりにやっている。
おとつい、父親を誘って大型のホームセンターに行き、取り払った木の代わりに使えそうなものの見定めや、新しい断熱材を買った。それだけでもかなり疲れた。お金は出したけれど、家全体のことなので後で返してもらおうと思っている。
もともと住宅用ではなくビル用の余った鉄骨を使えば安く済むという理由で親が建てた家は、確かに個人宅には不釣り合いな大型の鉄骨が深い基礎で立ち上がっていて、木部は主に壁を成形するのと、窓を支えるのに使われている。けれど鉄骨に沿って建てられていた柱は、その何本かはもう基部が地に着いていない。これではかえって強度的に不利にもなっている。それらはやっぱり取り替えて横板も腐ったものを通し直し、強度を取り戻す必要もある。ホームセンターへ行けば材料自体は数千円でしかない。何百万という見積もりは、足場代と作業員さんの人件費、そして何よりこうしたケースに対応できる技術についてかかるんだろう。
こんな時、いろいろなところに気が回る。親の部屋のエアコンはうちでは一番新しいのにこの間中を見てみたら茶色い汚れが出ていた。これが気になり、プラグを抜いてから中性洗剤を薄めた水を霧吹きで内部に向けてたくさんかけ、普通の水をまたかけたらやはり茶色に濁った水が養生用にしたゴミ袋に溜まった。それで乾燥のためにしばらく送風させてみたら中にまだ汚れている部分が目についたので布を入れてこすっているうちに送風ファンの一部が割れて飛び出て来てしまった。しまったと思ってそれを見てみると、ファン自体の汚れがほとんどとれていない。特に親はどちらともきれいな空気の中で過すのがいいので、なんとかしたいと思ってネットで調べてみると、よく売られているフィンの掃除をするスプレーだけではエアコンの掃除としては不完全で、今回一部を壊したファンの掃除も要るらしく、Amazonでそれ用のスプレーを買う事にした。少し高かった。
こんな時、また母親の状態もあんまり良くない。その対策は医師から聞いたものの、できれば避けたい方の、多分、自分にとっては面倒なものを次回は頼むことになりそうで、今や毎晩のインスリン注射もときどき本人任せにしてしまう状態なのに、それが今の自分に出来るものだろうかと思う。母親の介護担当の方に一度相談してみるべきかも知れないと思う。けれど母親は、家の中に人をいれることと、自分の介護に付いてお金がかかることについてはひどく拒否的で、一方で「あんたがいたらそれがお金になっているのとおんなじや」などと言うので、やはり介護やヘルパーを専門にしている方と、家族のみでやる「福祉」とでは質も違うしお互いに楽になるはずだということを話しても、やはり「月の出費が増える」ことを話し出して拒否する。けれどそれにしては出入りのための手すり付き階段のレンタルなどには抵抗を示さないので、やっぱり他人に家に出入りされるのがいやなのだろうと思う。気を遣って何日も前から疲れるのだという。その辺りは自分にも似ている面があるので心情的にはわからない訳ではないけれど。
父親は元気で動いている。けれどいったん風邪などで寝込むと言動がおかしくなりこちらも混乱する。こういう「たまに介護が必要な状態」は、その時には本当に困るし助けがほしいのだけれど、申請に時間がかかっている間に通り過ぎてしまったり、より重大な状態になって医療保険に移行してしまうようなことになる。なので介護のほうの申請はあきらめている。介護保険が奇妙な制度だと思うのは、社会で高齢者を支える目的で作ったはずが結局は事業者の乱立を生んだ挙げ句、それぞれが経営にとても苦しんでいる点。相当に高額な、本来ならそこなら安心だろうと思えるような民間施設でも職員は不足し、虐待事件がよく起きている。これは「超高齢化社会」のせいになっているけれど、本当にそうだろうか。僕は国のサービス配分が適当でないからじゃないかと思う。
今日閉じた国会で安全保障に関する法律群が通って日本国の安全度は高まったのかも知れないけれど(僕は逆に国内外の日本人に対するテロなどの危険が増したように思っているけれど。)、今の政権になってヘリコプター用の大型空母や駆逐艦の新造が目立ち、武器輸出が解禁になったのに伴ってその開発に政府から大学等の研究機関へ補助金も出すという。安全は大事な事だけど、現代のハイテク兵器の開発や維持には膨大な予算が要る。介護保険などの福祉制度がその割を食うということはおおいにあるんじゃないかと思う。
安全保障のためだとして成立した法律群も、その根拠を北朝鮮や中国の脅威だと言ってみたり、中東からの原油輸送の安全をはかるためだと言ってみたりしているけれど、これまで中国や朝鮮を侵略してきたのは日本なのであちらが経済力をつければ軍事力をできるだけもとう、核も持とうと考えるのは、嫌なことだけれども当たり前なことのようにも思える。
衆議院で法案を強行採決した後、中国が日本海で資源採掘用の設備をいくつも建設していて、それがもしレーダー群として作動したなら相当の脅威になると強調されたものだけれど、あちらから見ると電子兵器では世界一のアメリカが建造したイージス艦を6隻保有する日本の軍事力は脅威だろう。アフガニスタンやイラクで、アメリカが地上戦より先にイージス艦から何発ものミサイルを相手国の中枢に打ち込んでほとんどその力を消失させてから兵を送り込むのを見て来たこれらの国は、たとえ自衛隊のイージス艦がこれまでは防衛用の対空兵器しか積んでいないという説明を鵜呑みにしたとしても、今後は集団的自衛権でアメリカやその他利益を一にする国の軍も守るようにするというのであれば、攻撃用の兵装(トマホークなどのミサイル群)も装備するようになるのではないかと考えるのは当然ではないだろうか。
今の政権の「積極的平和主義」の解釈は間違っていると思う。彼ら彼女らの言うそれは単に積極的にこの国も武力を増強し他国と共有して力の上で、「脅威」とされている国や集団と対峙するようにするということで、それならば80年代まで続いた東西冷戦を細分化して軍事力の均衡によって「一見戦争のない状態を保つ」のと何も変らない(細分化した分、均衡も難しく逆に危うい状態にはなる。)。けれど東西冷戦下でも各地で紛争は行われていた訳で、それは東西の代理戦争となってたくさんの市民がなくなっていた。その再現に日本も加わるのが「積極的平和主義」だとは僕にはまったく思えない。これら一群の法律に、紛争の元になっている貧困や資源の奪い合いに対する、力ではない解決への道が含まれていない。審議の途中の公聴会で、政権党が推薦した憲法学者がこれら法案を違憲と言ったことが話題になったけれど、本来憲法は個別的自衛権や集団的自衛権の区別をしていないのは事実だと思う。本来の違憲である根拠は、これが集団的自衛権に踏み込んでいるからではなくて、単に憲法が認めていない武力のさらなる増強につながることと、「国際紛争の解決の手段としては永久にこれ(戦力)を放棄する」という条文を無視しているからだと思う。
なので僕自身は、「日本の防衛のためなら個別的自衛権で十分」という言葉にも違和感をもつ。話し合いで問題を解決するというやり方について、これを非現実的とする人が多くなり、「お花畑」という言葉を批判的に使う人が多くなった。ただ、現状を見て、この日本国の周囲に、大規模な対国家規模の攻撃をしかけてきてあえて国際的批判をあびようとする国がどこにあるのだろう。中国だろうか。今や輸出入の最大の相手国となっていて、互いがなければ経済も成立し得ないこの国だろうか。北朝鮮だろうか。軍人が食べるにも事欠いていて、全人口も日本の1/4以下、平均寿命もおそらく60歳に満たず、少年のようなリーダーが政敵の粛正にやっきになっているこの国だろうか。台湾?ベトナム?そうか、ロシアだろうか。けれどもロシアはむしろ行き詰まるヨーロッパとの政治的関係よりはアジアとの経済を中心とした関係を望んでいるように見える。あとは・・・?。
今現在、その軍事力のために日本が最も被害を被っていると言えるのはアメリカ合衆国だ。世界一の「おもいやり予算」とゆるい基準の「地位協定」。沖縄の翁長知事は「もし防衛のために必要だというなら琵琶湖も埋め立てて基地を作るのか」という旨の発言をしたけれども、辺野古ではそれに匹敵する自然被害の出る基地建設が進められている。翁長知事の発言は本土に住む人間にも示唆に富むもので、確かに、「力をもたないとやられる」と考える本当の意味での「お花畑やろう」たちの虚をつく内容だと思う。軍事で日本を守るという気概?を持つのなら、自宅の横に騒音や事故を発生させるアメリカ軍基地(特に凶悪な海兵隊基地)があした出来ても構わないし、その誘致を熱心にしているだろうか。沖縄にだけ「抑止力として必要」と海兵隊の基地を置かせ、では本当にどこが攻めて来るのかを言わない方が、僕からしたらよほど「お花畑」な頭だ。本当のお花畑を愛する人は、そんな小さな心根は持ち合わせてはいない。辺野古は世界でも有数の美しい珊瑚礁をもつ海域だ。いわば世界の愛すべきお花畑だ。