回復してきているのかどうか

特にものすごく文章が書きたいわけではないけれど、ブログの期間があんまり開くのがまた気持ちの負担になってくる気がして、なんでもいいので書いておこうかと。
草の上が好きな犬です。小さな頃からシロツメクサの生えている中に飛び込んでいっては顔をうずめる。何か、草のいいにおいでもするんだろうか。ノミがついてかわいそうでしたが、涼しくなるにつれそれもなくなってきました。
別のブログの方に書いていますけど、うつの気分はなかなか去りません。僕の場合はどう形容したらいいのかわからない、こころの中の不快な気分とイライラ、そして例の「生きていても・・・」という気分。この気分がまた具体的で、今後このままで推移しても周囲にろくなことがないから、保険を利用してなんとかかんとか・・・といった、まったく生活に即した思考が浮かんできます。これは自分としてはかなり合理的だと思えるのですが、人に言うとそうではないらしい。

夏の暑さの厳しい間、犬ともほとんどいっしょに外に出れなかった。それは気持ち的理由で出れなかったんですが、別にうつの症状とも言えるのか、発作的な怒りが出たりしてしまうことがあって、犬はそんな雰囲気をよく感じ取るようで、僕がその状態になった時には横に座って「大丈夫かい?」という風にみていることもあった。僕は彼をせいぜい、外の見える洗濯室へ出してやるくらいしか出来ないのがわかっていて、顔を見ると「ちょっと勝手口を開けてよ」と今はねだってくるくらいです。無理に、外へ出してくれ!とは、僕には言わない。それは寂しい気持ちもするけれど。
今日もシャワーを浴びる程度でおとなしく過ごしていようと思っていたら父親がどこかに携帯を落としたらしいと言ってきました。そこで体は重かったけれど車を出して畑までいっしょに行き、自分のスマホから呼び出してみたら畑仕事の間つけていたという前掛けの物入れから呼び出し音が鳴って、この件は無事片付きました。そのまま父親を歯医者に連れて行き、自分は近くのホームセンターへ壁用の塗料を買いに行きました。まだまだ使える状態ではないけれど少しずつ用意していかないと気持ちが焦ってくるので、その対策のために。歯医者に帰ってきたら父親もちょうど治療が終わって出てこようとしているところでした。
先の不快な気分や発作的な怒りと「合理的考え」以外としては、以前から気にかかっていたことを少しでも先に進めて行かなければ「病」があり、そのためならある程度は動けるのです。いや、考えてみればだんだんと動けるようになってきたし食べれるようになってきた感じ。
今日も父親の携帯のことをきっかけに外に出れたし、起きたときに、先にも書いたけれど頭もかゆくて(僕は若い頃からフケがよく出ます。)ベッドまわりのよごれも気になったので、床をざっと拭いたりシャワーも浴びました。親といると調子がよくなくなる要因になるので、今は自室に適当に作ったものを持って入って食べています。母親のインスリンは今日は打てなかった(自分で打っていた)けれど、ゴミまとめはできたし、食器も洗えた。
不快なというか、不穏な気分は寝る段になってよく感じるので、スマホに開放型のイヤホンを刺して(耳の穴にすっぽりと入れこむカナル型のものが僕はどうも苦手)YouTubeでラジオ番組なんか聞きながら寝るようにしています。それがいいこととも思えないけれど何か音がないと眠りづらい。
関係ないけど、最近話題のオリンピックのエンブレム、僕はオリンピック東京開催自体に元々反対だったんですが、この際、ゆるキャラから選んだら「クールジャパン」の趣旨にも沿う?しいいのではないかと。「みんな金目指してがんばるなっしー」とか。冗談ですけど。
しかし、あれだけオリンピック招致に熱心だった人たち、滝川クリステルさんとか、「コクリツ」として親しまれてきた伝統ある競技場を壊したものの次どうしていいかわからない、エンブレム問題とあわせても、それだけで既に多額の費用がかかっていること、それも含めて東北大震災からの復興・原発事故の処理継続にオリンピック開催が果たして実質的な効果となるのか、といったことはなんにも考えはしないんだろうか。胸は痛まないんだろうか。「がんばろう日本」の実質って、その程度のことだったんだろうか、
ここ数年、「インチキをまじめにやる」人が増えている。
自分がそれで利益を得てきたはずのゴーストライターさんをむしろ蔑む「作曲家」、
議員の立場を利用して多額の税金を私用に使う人たちの連続、
人が亡くなっても自分の「発見した細胞」とその「作製法」を否定しなかった研究者、
国立競技場に関わったのはデザインだけで建設の試算はしていないので責任はないと言い張る「建築家」とその周辺の、やはり「誰にも責任はない」と言う関係者たち、
エンブレムは多めに見ても、それとは別に多数の「人の写真やデザインそのまま」を盗んではばからない「デザイナー」・・・
そして言うまでもなく、大義なき戦いの実相を知らない首相、政権党、官僚が押し進める「安保法制」などなど。
動くのがだるくてじっとベッドからテレビを見ているときでも、そんなことを思います。どうしてこんなインチキな人たちばかりがある意味もてはやされて、そうでない大多数の人たちは日々の生活にいろんな悩みを抱え持ちながら生きていかなければいけない社会なのかと。

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