「いい写真」

本当は発達の支援員さんの勧めもあり、近く相談に行く父母の介護の件をかなり書いたのだけれど、なんだか気持ちが重くなってきたので消しちゃいました。じゃ、何を書こうか。久しぶりにカメラのことでも。今年に入って一眼レフを持ち出したのは春に梅を撮りに行ったのと、しばらくしてやはり桜を撮りに行ったのと、公園に春の草花を撮りに出たのと、夕方の植物園へ行ったのと・・・それぐらいかな。3月のかかりあたりまでは寒くて動く気になれず(暑さ寒さに本当に弱いなあと思います。)、犬の散歩ぐらいには出ようと思い始めて、iPhoneをカメラ代わりに近辺の写真を撮ったりもしました。
iPhoneのカメラ機能って、ネットでの比較記事を見ても抜きん出ているところがあるようで、今時のアンドロイド機なら1000万画素を超えるような解像度を誇るセンサーを搭載しているのに、iPhoneの800万画素の映像になかなか叶わないということもあるそうです。実際アップルのサイトに行くとiPhone6や6plusで撮った写真がたくさん掲載されていて、確かに美しい。
でも僕が思うに、写真って結局何に気持ちを打たれたか、その風景にどれほどの想い出が詰まっているかで自分にとっての良さが決まるのであって、「わぁ、これはきれい」という写真は世の中にわんさかあるけれど、ある意味機材がそろっていて一般的にきれいだと誰しもが感じるだろう風景さえ撮れば、それらは一応人の胸を打つ。でもその写真が自分にとって良いかどうかというのとは、それは全く別のことだろうと思うのです。

もちろん、僕もできればより性能のいいカメラや世間の評価の高いレンズを手に入れたい。けれど昔撮った写真なんかを眺めて返していると、あんまりカメラの性能って写真を「良いなあ」と思うことと直結はしていないような気がします。僕が最初に持った、ある程度ものが映るカメラは400万画素のコンデジ。けれども当時としてはそれがかなりの高性能に思えたものです。そして今それで撮った写真を見ても、今持っている1000万画素を超える一眼レフカメラで撮ったものと比較してさほど劣っているとも思えない。
確かに現在のカメラの進化は驚くほど速くて、僕のように開放とか絞りの意味がようやくわかってきたという程度の人間でも「いいな」と思った光景にレンズを向けてシャッターを押せばそこそこに対象が撮れるようにできています。何よりiPhoneが、あの小さなレンズでも人によっては個展が開けるくらいの写真が撮れるようになったのは象徴的です。でも・・・とそこで思うのです。一番大切なのは、写す側が何を見て「いいな」と思うかということじゃないかなと。
小学生の頃、毎年近所の神社へ写生に連れていかされました。手先が不器用で絵や書道、工作がとにかく苦手だった僕にはあれは拷問みたいな行事でもありました。みんなが短時間で描き終わって遊びにかかるのに、僕だけ細かい細かいところばかり注意がいってなかなか全体像が描けないものだからよく先生に言われました。「なんでこれだけしか描けないの?」
それは置いておくとして、みんなが平均して「いい光景だ」と思う場面はたくさんあるけれど、自分だけが「これはいい光景だな。残しておきたいな。」と思える気持ちを形として留めておくのが仕事でなく趣味で撮る写真の醍醐味ではないかと思っています。人からしたら大したことがない写真だなと思えても、自分さえ満足できれば、それはそれで素晴らしいことかなと思うのです。
ところで最近ちょっと困るのが近眼と老眼と、それに加えて視野の暗さが重なってやってきていることで、これは年齢が上がるにつれて仕方がないことだとしてもファインダーを見て対象になかなか焦点が合わなかったり、背面液晶の絵がぼやけて見えるようだとかなり困ることになります。ここ一二年で視力の衰えがはっきりと進んだのですが、それでもカメラ側で視度調整をしたり、液晶を目から離せばまだ写真を撮ることに相当の不便を感じるということはありません。ただ、この視力低下の原因のひとつに、確実にiPhoneの見過ぎがあるだろうと思っています。
僕の持っているiPhoneは4インチの液晶を備えた5cというやつですが、これに経費節減のため大手の回線を借り受けた業者の発行しているsimカードを挿して使っています。これだと、あんまり会話さえしなければだいたい月に2000円程度でiPhoneが持てる。
パソコンをいちいち起動してするほどの作業は、今とりかかっている定期のものぐらいしかなくて、iPhoneは今やパソコンの代わりでもあり携帯性のいいカメラでもありその他「プロフィール」で記している通り、自分に欠かせない生活支援の道具にもなっています。けれども、それが元で視力に影響してくるのも困る。
iPhone6plusぐらいの大きさならもはやiPadやNEXUSのようなタブレットに近く、見るのにはかなり便利なもののいかんせん高価です。僕のように本体を一括で手に入れてそれにコストのかからないsimカードを挿して・・・というスタイルもとれなくはないけれど、それで取り返しがつかないくらい、最新のiPhoneはもはや「高嶺の花」と成り果てています。それで、最近は画面の大きさをとって安いアンドロイド携帯に持ち替えることも考えることがあります。アンドロイドにしてしまうと、iPhoneにしかないアプリは使えないしMacとの親和性はなくなってOS開発元のグーグルのツールに頼ることになりそうですが、いろいろと工夫すればMacとアンドロイド携帯との間でも予定やToDo管理はできなくもなさそうです。このことについてはまだ時間もあるので今後のこの業界の推移も見ながら楽しみとして考えたいなと思っています。

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