父と車

父親が今年の誕生日で車の運転を止めると言い出して半年ほど経ちました。そうして誕生日を迎えました。父と車との想い出は、当然僕のもっているそれよりは多く、本人の運転についての想い入れもまた深いことは確実です。
若い頃、運送会社に勤めていたときに大型の免許もとらせてもらい、京都を走っていたこともあるようです。もっとも当時の免許取得基準はとても緩かったらしく、それが今でも通じているのも変な話だとは思いますが。
一度、八坂神社前の交差点で運送車が止まってしまいこまったことがあるそうですが、僕は今の交差点を想像するので「それはほんまに困ったやろう」と話すと、「その頃は車の台数が少なかったし、今ほどのことはなかったんや」と話します。

僕の知っている範囲では、病院に勤めだしてからの父は、ダットサンだったかと思うのですが自家用車をもっており、これは本人に言わせるとエンジンを始動するときにまず車外に専用ハンドルを取り付けて手動で回さないことには動かすことができないという車だったらしいのですが、僕自身はおそらくその車で保育園まで送って行ってもらっていたように思います。ある日、勝手に乗り込んで運転の真似事をしていたらハンドルが取れてしまったので焦って父親に伝えていくと、なにやらがちゃがちゃと外れた部分を納め直して、「これでええにゃ(いいのや)」と父が言ったのをよく覚えています。現代の日本車からは考えらえない造りだったんだなあと思います。
5年ほど前に、比較的運転しやすいはずの軽トラック(オートマ、エアコン付き)に変えてしばらく乗っていたのですが、それも車両感覚がとりにくくなってきたらしく、それでも医者に行ったり買い物をするのに移動手段として車がないと不便な土地なので、僕が自分の判断で現在は生産中止になっている二人乗りの軽自動車を中古で買ってきたらこれが非常に気に入ったらしく、その運転は今でもそう戸惑うことなくしているものの、やはり「誕生日で」という公約を守りたかったのか、あるいは、「慌てたときなんかに、どんなに小さな車でも取り返しのつかない事故を起こすかもしれないことには変りがない」ことを話したので考えてくれていたのか、どうも今回は本当に車をあきらめるようです。
たまにしか外出しないのであればともかく、ほぼ毎日ある程度の距離を外に出る必要があるので移動の手段はやはり要ります。本人は朝から電動アシストの付いた自転車を予約してきたというので、おそらく発注はまだだろうし、自転車だと体の機能低下もあって危険な場合もあるだろうから、一度ほかに選択肢がないか考えようと説得をし、幸いにも予約はキャンセルしてもらえたので、ともかくも車はやめることは決めて、ここ数日で本人にとってより安全で周囲にもやさしい(例えば電動シニアカーなど。)、そして移動が楽な手段を具体的に検討してみることにしました。
ただ、僕はやはり寂しいのです。父親が若い頃から生活の手段としても、僕ら子供が小さかった頃のレジャーのためにもと、愛した車の運転から離れるということが。

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