
この前父親が庭にいたとき、たまたまその日訪れた人が、僕がずいぶん以前に写した父親お気に入りの「花筏」という植物の写真を見て「これを送ってほしい」と言われたらしく、「送りたいから写真を探しておいてくれ」と頼まれました。それで探してみたんですが見つけたのは今のところこれくらい。ピントが思うようには合っていませんが花自体が小さいし、写した時には「ともかく人に知らせたいから大きな写真にしてくれ」ということだったのであんまりこだわりもありませんでした。父親にとってはこの花を咲かせたことの喜びが大きかったのでしょう。花が咲くという事は実もなるようで、葉っぱの上に黒くて丸い実がなります。その写真も撮ってはいるのですが、依頼された方からのご連絡がその後ないので僕の写真探しも中断しています。
それよりほんとうは今少しやっておかないといけないことがあるんですが手につきません。ひとつには風邪の引きずりがあります。かなりマシにはなりましたが集中力というのか、いまひとつ力が湧いてきません。「やろう」という気持ちが起きてもやりかけたらストンと気持ちが抜けて「まあ、今はいいか」という気持ちになります。
「周囲の時間」は否応無くそんな自分を巻き込んでいきそうな気配です。今月中の母親の入院が決まり、来週には術前の検査に付き添うことになりました。その後手術同意のための先生からの説明があり、手術のあとはリハビリを含めての入院生活が、母には始まります。手術や入院というのは本人だけのことだからこちらは楽になるのでは・・・という感じもありますが、これまではそうではありませんでした。介護で施設に入ることをお願いするということと医療とはその辺りが違うのかも知れません。
もちろん自分が医療行為や看護をすることはないわけですが、本人が精神的に落ち着けるように話し相手をしたり家の様子を知らせたりということもあるし、必要なものの準備や着替えの用意、テレビがいつも見られるようにといった気遣いは家族にかかってきます。去年は長時間の全身麻酔手術だったため、日頃から不安を抱きやすい質の母親にとってはかなり負担だったらしく、その後長い間混乱状態が続きました。夕方、仕事が終わってから行くと母親は涙を流しながら「悪夢」のようなことがらを事実のように話してきます。相当こわいことのようです。それを聞くと、こちらはその内容よりもそうして話している母親自身の姿を見るのがつらくなってきて、ついつい「そんなことはないんや」と言ってしまいそうになりますが、たぶん本人が望んでいるのはそうした具体的な言い返しじゃないんでしょうね。なんだかわからないけれど。
病院の配慮だと思うんですが、そんな混乱した時期に看護学生さんの実習としてそばに若い人を付き添わせて頂いた時もありました。その時にはもともと話好きの母親のことなのでかなり話をした様子で、僕から見ても落ち着いた表情をしていました。その時には「人を付けてもらうといいのかな」とも考えたのでしたが、後から本人が言うには「ああして看護学生さんに付かれるとこちらもどういう風に相手をしてあげたらいいかしんどくなる」と言うのです。「そんなん、その人は実習であんたに付いてるんやから、勉強になってるんやから、相手の人にそんなに気を遣わんでええんや」と言うのですが、「いや、そういう風には考えられへんわ。なんかその人のためになるようなことを話したげんとと思う」と返してくるのです。なので去年も二三日付いてもらった学生さんに続いてまた別の方をと病院から頼まれたけれど断ったのだと。
それは今デイサービスに通っていても同じで、「ああして介護をしてくれる人たちの気持ちを知っておかないといけいない」などと言い出して、「そういう本がないかな」と言い出したりします。そこで僕も以前と同様に「利用料出してお世話になっているんやからそこまで考えなくていいんや」と言うわけですけど本人には納得できないようです。あるいはゲームをしてそれがうまくいかなかった時なんかに、家でそのゲームの練習ができないかとまで言い出します。簡単なボードゲームくらいなら用意しないでもないのですが、リハビリも兼ねた集団でやるゲームの器具などうちに再現しようもないのでそれについても「そこまで必死に考えることないねんで。リハビリでやってることなんやから」と言ってもなかなか納得してくれません。あるいは一度納得した感じになってもまた同じ事を蒸し返してくる。
ただ、母親と僕の気質はかなり似ていると思うので、恐らく自分も将来はそのようになっていくのではないかと思います。おそらく・・・もっと母親を俯瞰するように、カメラで言うならズームレンズを広角側に回して、あまり母親だけに目を向けないでいることの方が大切な気がします。不安はどんどん言ってくるかも知れないけれども、基本としてその時最もふさわしく安全な場所にその人を置いているんだというところで自分自身を納得させることが大事なのかなと思います。でもなぁ、これが現実になるとなかなか色々な事が起こるのでそれへの対処をしなければいけないと焦るばかりで、心カメラのレンズは広角どころかマクロの単焦点のようになっていきます。
加えて今年は家の改装やら父親の状態も含めて、あ、そうそう、僕自身の立ち位置まで含めると、母親にとっては頭に浮かんで来ることも大盛りにありそうなので今からやや戦々恐々状態でいます。なので僕自身の「防衛策」も今から考えておく必要がありそうです。先生とのお話や服薬はそうですが、地元担当の保健師さんとか介護の方々とか、担当して頂いている支援員さんへの定期のご連絡とか、自分がなるべく安定していられるような工夫をしていくことが大切だなと思っています。
で、やっぱり気が進まないけれど書きたい事を書いたのでちょっとだけ作業を進めようかと思います。