仕方なく体を動かす


昨日の朝、あまり良くない感じの夢を連続して見た。最初のは強烈で後の方がマシだった。夢はもう、たいてい悪い内容と決まっている。起きても、過去のイヤだったこと、受けた言葉や表情を思い浮かべたりすることが多かったので、「そんな時にはもう一度寝る」と何かに書いてあったのを思い出して寝てみた。再度起きてから「やっぱりだめな感じ。どうしようかな」と考えていたら、以前からMacのマイティマウスの具合が悪いことを思い出して、「とりあえずこいつを分解して掃除してやろう」と考えた。自動的に出て来る思いとは違う具体的なことに集中した方がいいだろうと。
で、マイティマウスの内部掃除。結果として「惨敗」だった。Macのマウスとしては最新ではないしスクロールボールに不具合が出やすいのは有名だったからネット上には発売からしばらくしてそれに手を焼いた人たちの清掃法がたくさん出ている。そのうちのひとつが自分にも簡単そうだったしマウス自体へのダメージも少なそうだったのでやってみたら、それが出来るのは器用な人で(あるいは平均的で)自分は不器用だったことを忘れていた。夜になり、結局残骸をゴミ箱に投げ捨てた。
小さな頃から不器用だった。
運動も平均よりだいぶ劣っていた。教科では、体育はもちろん、習字や技術家庭、それに音楽や美術が苦手だった。それでも「不真面目でやらなかった」というよりは、一応取り組んでみるのだけど結果が裏目に出るということが多かった。あるいは衝動的に動いて失敗をした。「人の鼻を緑色に描いてみたら面白いかな」と思ってそうしたら皆の前で先生から「なんでこんな色にしたんや!」と怒られる。「それが面白いかな、と思ってそうしました」と答えるが、先生はいかにも不機嫌そう。なんでだ?ピカソだってあんなヘンテコな絵で絶大な評価を得てるやないか!神社のスケッチでは皆が全体を俯瞰して描き始めるのに対して自分は軒回りの細かな木組みにまず注目してそこから描き始めるのでいつまで経っても終わらず、先生に「まだ描いているの?」と嫌な顔をされた。なぜまじめに描いてて怒られるのかが理解できなかった(このことはもう何回もこのノートに書いている)。もう絵については評価されることがないとわかったので、夏休みの自由提出の宿題で、当時、本当に感動して山から見た湖の姿をスケッチしてみたのだけれど「どうせ悪くしか思われない」と思って提出しなかったこともある。
もうひとつは、さっきの神社の絵のこととも関連するけれども、人より物事を進める動作が遅かった。人は経験を重ねていくに連れて「要領」というものを覚えるらしかったが、僕はいつも一から始めるという感じがあった。あるいは最初から人のようには理解が進まないということもあった。たとえば音符というもの。あれを見ると頭が混乱して嫌気が差した。中学くらいになると周りで楽器に興味を持ったりする子が多かったけれど、僕はまず楽譜を読むのが難しかったので楽器にも興味がもてなかった。テストでは、音楽史のような記憶に頼る部分では満点をとれるのに、音符を書くところでは0点だったりした。技術の時間、文鎮を作る時に他の子が機械をうまく使ってきれいにネジ穴を開けるのに僕にはそれがどうしても出来なかった。それで、得意な子に助けてもらってほとんどお任せ状態だったことも想い出す。とにかく「実技」的なところは壊滅状態だった。
まあ、実技の部分ではいろいろと失敗が多かった。それは大人になってからでもそうで(仕事というのはだいたい実技にまつわることが多い)、違うのは、自分で理解する時間とマニュアル(絵付きの手順書のようなもの)があれば、あるいは考え出せれば、ある程度のことは出来る可能性が広がるようだとわかってきたこと。失敗しやすい時というのは、時間が限られていて自分に合わせた工夫をする余地のない時や、軽蔑されるのが怖くて人目が気になる時なんかに多いということ。

そしてまた昨日の続きを。今週には家改装のために大工さんが来られるので母親のベッドを、様々な用途が集中してしまっている居間へ移動しておかなければならず、ともかくカーペット(って、実は電気カーペットの上敷き)のゴミをとって洗濯機で洗っている間に全体に掃除機をかけて父親のベッドの向きを変え、棚やテレビを動かして、食事をとる机を置き直した。マッサージ機がどうしても場所をとるのでこれは代わりに母親の部屋に入れておいて昼間はカバーをかけておくことにした。うちは両親が部屋に掃除機をかけたり物を整理したりということをほぼしないので(特に母親がそれをしているのをほとんど見た事がない。かといって尊敬しないわけではない。)、増えて来た介護や医療関連の書類やら薬やら診察券などの管理がどうも良くない。今夜はこれを整理してみようかと思う。