ふたつの時間


最近、犬が家で暇そうにウロウロする時間が長くなっています。6年程前、それ以前に飼っていた二匹がいなくなって半年程経ってからでしたか、「これでは老親ふたりと自分だけの殺風景な生活になってしまうし、何より父親の日々の励みになるだろう」と思っていっしょに暮らすことにした犬です。期待に違わず父親を主(あるじ)として日々ほとんどの時間を共に過ごしています。外にも十分出ているし散歩も足りているはずなのに何が物足りないのか夕方からも家の中でごそごそ・ウロウロします。
ごはんを食べていても僕の腰掛けている時に背中側から前足をかけてきて、腰のあたりをガシガシひっかいてきたり。そんなに痛いというわけでもないのですが食べている最中だとせわしなくて迷惑千万です。それでつい自分の食べている物を少し分けてやったりするのがまたいけない。
さっきも、2階でテレビを見ていたらガサゴソと音がするので「ははぁ、上がって来るつもりだな」と思って注意していたら、案の定、障子の破れ目から顔を見せました。最近この「2階チェック」がよくあります。それで部屋に入れてやってもそのあたりを見て回ってベッドに一度昇って降りるだけで、それ以上のことはありません。階下に降りるのは階段が狭くて急で危ないこともあって、仕方なしに抱っこして下ろしてやります。

最近、発達障害者自身が書かれた本を読んでいてふと自分にも思い当たる箇所がありました。なかでもタイトルにも書いた「人にはふたつの時間が流れていて、ひとつは仕事など外での、周囲の流れに合わせた時間。もうひとつは全くの個人的な時間」と、そういうようなことだったかと思います。これは特に発達障害者でなくても誰にも共通した時間の分け方だろうと思いますが、発達障害者の場合はこれらの時間間でエネルギーのバランスをとりづらいといったことが書かれていたような気がします。外で緊張して過ごし一人になった時にリラックスするといったことがやりにくい。外で消耗し過ぎてリラックスする方策さえわからない。本来の落ち着いた自分の時間の流れを取り戻しにくい。という風に僕自身は理解をしています。
それでふと思ったのが、こうしてウェブ上に書いている「ノート」のことでした。僕は一度書き始めると長く書く癖があります。そのとき抱えている気持ちをできるだけ外に出してしまいたいとでもいうような。たぶん、周囲の流れに否応無く合わせなければいけない時ほどその癖はよく出て来るようです。このことはこんな風に理解できるのではないかなと思いました。「感じていることを言葉にして出すことで気持ちに整理をつけている。頭の中だけで考えているだけでは過熱して落ち着けない時にも、具体的に文字にしてみることで落ち着ける。そうして自分の時間を取り戻している」という風に。
外での時間で振り回され大きなダメージを受けた時にはこの方法もむつかしくなり、その場合にはかなりプライベートで具体的なことを本物のノートに付けて整理するという方法を若い頃からも時々してきたし今もすることはあるのですが、普段はこうしてサイトに記すことで自分の中のエネルギーを消耗し過ぎないようにしている。そういう手段にサイトを使っているような気がしています。
それよりも今は先週末からひいた風邪で消耗したエネルギーを取り戻すことが先決になっています。そしてこういう時に限っていろいろとやらないといけないことが起こってきます。「周囲の流れ」に身をさらさないといけない時間です。
先週末はどうも体調が不穏だったので母親に「週末の定期診察を少し延ばしてくれないか」と頼んだのです。けれど母親は最近内面にしなやかさが減ったというのか、以前なら許容できたことも今は出来なくなっていて、父親も「そうしてやったら」というのに「どうしても診察へ行きたい」というので仕方なく付き添って行ったのです。そうしたらその晩あたりから風邪の症状が強くなりました。
熱も上がり出して今週の自分の診察は行けなくなり、昨日も夜まではまだ微熱があったのですが父親の診察があり、こちらはキャンセルをしづらい状況でもあるので厳重に着込んでマスクをして付き添いに臨みました。幸い、朝方には熱は引いて昼間も夜も食べることができたし今は消耗した体力を早く取り戻したいと思っています。

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