人生の「貯金」

春01

今年の桜は咲いている期間が長かったなあと思っていたけれど、やっぱりお祭りがおわるのとしばらくして青葉に変わっていった。

今年はひさびさに屋台の間を歩いた。子供の頃は買う物が決まっていた。水飴、ポンプを押すと跳ねるカエルのおもちゃ、やどかり。りんご飴と綿菓子は歯が悪くなるから買ったらだめと母親が言うので買ったことはない。未だにりんご飴の味を知らない。

今日、ボランティア作業をしていたら担当の方から部活は何をしていたかを聞かれたので、学生時代はまったくうだつがあがらなかった、特に高校に入ってからは一日目からもう机に突っ伏していた話をした。暗い学生生活でした、今と違って学校になじめずに「登校拒否」でもすれば、それは特殊な部類の人間ということになっていましたというようなことを話した。電車の中では自分についての悪口が幻聴のように聴こえてきたということも話した。

いつ頃からそんな感じがし出したのかを聞かれたので、小学校の中学年の頃からですと答えた。集団の中では緊張してしまい、男女の関係の取り方がわからず、しんどくなっていったことを話した。それから3月生まれなので小さな頃は人より一年ほども遅れていたからこまったという話もしたけれど、実際にそれで特に困ったところがあったのか実は自分でもよくわからないでいる。元より発達障害があったので、やっぱりそちらの方で困っていたことは多かっただろうと思う。集団の中での阻害されている感じ、孤立感、突然にやって来る悲しさ・・・手先の不器用さ、運動のできなさ・・・みんなみんな困っていた。

よく行ってはその内容を楽しみにしたり参考にしたり感心したりしている成蹊大学の塩澤一洋先生のブログが、だいぶ前から「ココログ」のshiology.comから「Medium」のshiology.netに移っている。数年前、先生のお話を聞きに心斎橋のアップルストアへも行ったことがある。法律学者であり写真家でもある先生のお話を読んでいると、こんな人のもとで大学生活を送りたかったものだなあと思うことがある。講義ではMacやiPad、iPhoneをフルに活用されていて、文章を読んでいるとそのおもしろさが伝わって来るようだ。きっと楽しくてスリリングな「頭の体操」の時間になっていることだろう。

デジタル機器で授業をすべてまかなわれるのかといえばそうでもなく、紙に書くことの重要性も強調されている。それも消しゴムで消せるように書くのではなく、思考の跡が残るようにペン、特に万年筆を推奨されているのも面白い。ノートも、思考が横に伸びて行けるようにリングノートを横にしてとる方法を紹介されている。また、これまでご自分が授業を受けられる時に「科目別にノートを作らない。ノートは一冊」とされていたのも興味深い。

僕は診断でも指摘されたことだけれど、先生の板書をノートに書き写すのが苦手だった。へたくそに黒板の文字をそのまま書き写した自分のノートを見るのが大嫌いだった。けれど大人になって、講演会なんかの記録を紙にとる時には文字がすらすら書ける。それは人が「板書」したものを写すんじゃなくて、自分が解釈できたことを自分なりの言葉で書いて行くからだなと思ったのは最近のことだった。

ところでその肝心なshiology.netが、僕が今使っているOS10.9のSafariバージョン9.1.3ではうまく読み込めないことがしばしばある。Chromeではすんなり読み込めるのでOSの問題ではなくて単にSafariがまだ十分に対応できないままにこのOS上での開発を終えられてしまったということなのだということなんだろうけれど、MacではやはりSafariを使いたいのでこの点がとても残念だ。かといってChromeがどんなサイトでも万全かというとそうでもない点もある。

学生時代、小学校、中学校、高校、大学と上がって行くに連れて、その終わり方はひどい経験になってしまい、今でもその夢をよく見て苦しむのだけれど、今朝見た夢はまだましだった。つまり大学の講義でちょっとした問題を出されて困ってしまうのだけれど、最終的にはその答えがわかったという夢。いつもなら問題も答えもわからずに当惑してしまうところで目が覚めるというパターンが多いのに、なんとか答えにたどりついたという夢だった。

その夢を見たあとでしばらく考えたのは、大学時代、周りはとても難しいことをしていたと今でも自分は思っているけれど、冷静になって思い返してみれば、休学などはさまずに普通に通い続けていたとしたら思うほど難解なことはしていなかったし、自分も障害特性からくる対人関係の不具合さえ補償されていたとしたら、ちゃんと講義内容も理解してゼミの発表ぐらいできただろうということ。

それともう少し、あと10年ほど後に学生時代がずれていてくれたとしたら、ワープロやパソコンが普及していてきっと自分はそんなツールに魅力を感じ、本当に自分が好きな方面を向いて歩いていたかもしれないということ。「たら」とか「もし」を前提に話をしてもいまさら仕方がないけれど、実際、家にひきこもっていた20代の頃、当時業務で使われていたポータブルの活版印字機?を親から借りては読書をして印象に残った部分をまとめたりしていた。日記をつけながら、おかしいと思ったことを文章にして新聞に投稿したりしていた。それは何度か掲載された。感心のある記事をスクラップブック何冊かに切り抜いていた。

日記もスクラップブックも、もう自分の生きるすべがないと思ったときあたりに燃やしたり捨てたりしてしまった。ワープロを買ったのはその後仕方なくアルバイトに出て得たお金でだった。サンヨーの一番安い、二行しか表示のできないものだったけれど、キーボードで打ったものが文字として保存でき、きれいに出力されることがうれしかった。その後、やはり親が仕事で使うNECの「文豪」を借りてみたら、これにはもうパソコンに近い機能が搭載されていた。当時、弟はすでに大学や家でパソコンを使っていた。80年代の終わりから90年代のはじめにかけての頃だった。それから間もなく、精神科デイケアを経て作業所を通過し、職親となるパートに出る頃にパソコンと初めてで会った。PC-98BXだったと思う。これはパソコン通信をするのに役に立った。

その頃、大学に行かなくなって10年近くが経過していた。ただこれまでで一番本を買って読んだのはその10年の間だったし、自分なりに世の中のことがらを真剣に考えたのもその期間だった。なので虫のいいことを言えば、あと10年、自分が生まれるのが遅ければ人生の展開もそれなりに異なっていたのかも知れない。もっと言うと、発達障害への理解が深まりつつある今の大学であれば、僕は楽しく学校生活をおくれていたのかも知れない。

つまり今朝の夢で思った事は、なんのことはない、ちょっとした「ズレ」で結果が変わってきただけのことだったのだということ。それはとても残念なことだったけれども、自分自身、その「ズレ」をなんとか補償しようと、別の媒体、手段を使って自分の好きな方向に向かおうとしていたこと。それらは言って見れば若い頃に蓄えた形のない「貯金」みたいなものだと思う。これからももしある程度生きて行くということであるなら、それらの「貯金」が力になることがあるのかも知れない。

(写真はすべてhonor6Plusで。)

人生の「貯金」” への2件のフィードバック

  1. 僕も中学生まではフィールズ賞をとれると真剣に思っていた(笑)
    集団生活の違和感は高校の思春期を乗り越えたら克服できたけど
    最近モチベーションが死んでいる今日この頃です。
    がんばって激動の現在をいっしょに生き抜きましょう。
    god bress you.

  2. 小学校の中学年以降あたりから緊張がひどくなり始めて、高校に通う電車の中では幻聴のようなものが聴こえ始め、また、自分の姿が何かに映るのを見るのがとても嫌だったことを思い出します。
    今でもその傾向は残っていますが。
    勉強はほぼ記憶力に頼っていた気がします。
    大学に入って好きな事に出会えたのに、それに周りが認めるかたちで向き合えなかったのは残念な記憶として今も残っています。
    けれどそれに「未練」を感じている限り、いつかまたちゃんと向き合える時が来るかも知れない。
    モチベーションは、僕も今死んでます。現実に圧倒されてばかり。
    励みになります。どうもありがとうございます。

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