うろうろとしている間に外で写真を撮るのが厳しい時季になってきました。暑い。僕は暑さ、寒さの両方ともに同じぐらい弱いのです。暑いと汗をかくのも困りものです。あの皮膚と衣服の間にベタッとくる感覚がともかくいや。小さな頃のアトピーの名残なのか皮膚自体が過敏で弱く、汗をかくと痒くなることも多い。ふだん無精をしていてもすぐにシャワーを浴びたくなる。今はどうせまた汗をかくのだからと、どうしても必要な時以外はなるべくシャワーを浴びないように節約(無精とも言う)をしていますが。それも汗が引く環境あってのことです。
中学の頃、「耐寒マラソン」なるものがあって、クラスで目標を作って早朝から自主的にグラウンドを走るというものでしたが、それが嫌で学校に遅れることも多くてほとんど走れませんでした。それが体に活力を入れるのに合う人はいいとして、僕のように体に合わないことを行事として設定されてもできないので、もう少しゆったりとした体の起こし方・熱の入れ方というものもあっただろうにと今なら思います。早く出てゆっくりと歩いてくるだけで走っても走らなくてもいい、とか。
ついでに言えば、運動系クラブ活動というのも、あれもどうかなと。もちろん若い頃に体力をつけることは大切なことだとは思うものの、たいていのクラブ活動はある程度運動能力が平均的な子供なら補欠であってもついていけるけれど、その能力に劣るとやはり疎外の対象になりやすい。まして人との関わりに難があるとああした集団にはいづらくなります。野球だ、サッカーだと放課後のグラウンドを占有されるので、その中にいなければ学校で自由に運動をする機会が奪われてしまいます。これは文化系の活動にも言えると思うのですが。
先生も授業のほかにクラブの担当を持たされるので休みにも出勤しないといけなかったりする。どうしてもやらせたいなら地域の、それこそサッカーや野球やテニスや卓球なんかが得意な若い人にバイト代を払ってコーチになってもらい、やったらいい。そしてできればグラウンドの占有はなるべくやめてもらいたい。クラブ活動が生徒どうしのいじめや万引き・喫煙などの不良素行の原因になっている場合もよくあります。
最近とてもよく見る、「何々さん、何々大会出場決定!おめでとう」みたいな横断幕もかなりお金がかかるものなのだけれど流行のようにやめないなあ。
放課後のグラウンドはむしろ運動能力に関係なく、楽しみながら体力をつけたい生徒のために開放すべきだと思います。僕は、運動能力は平均より劣ったけれど、別に運動が嫌いなわけじゃなかった。ところが放課後に「クラブ活動」なるものに学校施設を占有されるので、道路や田んぼで弟や父親相手にキャッチボールをするくらいしかできないわけです。家で道具を買うことが難しいスポーツなどはその機会さえ与えられない。せっかく学校という公共施設へ通っていたのに。
この間、わけあってWindowsネイティブな環境が必要になり、OSXのBootCamp機能を使って余っていた160GBのハードディスクにWindows7を入れました。オフィスも、まだライセンスが一つ余っていたのでこれも入れました。ところがいざデスクトップにディスクをセットしてみると、動作には支障がないものの古いハードディスクなので動作音が大きくてそれが気になる。このディスクのために1TBあったディスクを取り外したんですが、どうせならそちらにインストールすればよかった。そちらの方が音が小さいのです。
それで160GBの環境をそっくりそのまま1TBのディスクへ移せないかなあと考えました。そうしたら同じようなことを考える人はたくさんいるようで、それ用のソフトウェアも探したら無料で見つけられました。Wincloneです。それもまともにサイトへ行ってしまえば、ダウンロードできるのは既に開発が終了している古い無料バージョンではないのでネット上でそれを残しているサーバーを探す必要がありますが、ともかくこれを使えば希望していることができます。いや、正確には何度かトライアンドエラーの末にできました。やることは簡単です。このソフトを使って現在のウィンドウズ環境をバックアップする。それを移行先のディスクへ復元する。以上なのですが、最初、なんどやっても復元の最終段階でエラーが出ます。
僕のデスクトップはMacProの2009年製造の物で、今の壺の形をしたものとは違い、内部に4つのハードディスクをセットできます。それで最初のうちは内部に移行元も移行先のディスクも入れてやっていたのですが、それがよくなかったようです。もうダメ元のつもりで移行先のディスクをUSB2.0接続の外部ケースに入れて同じ操作をやってみたら復元が出来ました。その後、そのディスクを内部にセットしてもBootcampはきちんと動作してWindowsも以前と変わりなく起動します。まあ、それがどうしたという話なのですが、僕にとってはパソコンの動作音が小さいということはとても大切なことです。WindowsからMacへと環境を変えたのも、(最近はそうとも限らないようですが)Macの方が動作音がとても静かということが理由にありました。
昨日、夢を見ました(夢はいつも必ず見ます)。いつもなら現実がそうであったように、大学が自分に合わず、でも科目履修をこなさないと卒業できないどうしよう・・・という苦しいものなのですが、昨日はそれと違って入った当初から自分がこれをやりかったんだ!という環境にいました。人の中なので多少今後を懸念する部分もありましたが、それ以上に「これをやりたかった」という喜びの方が強くありました。実際の大学生活では、2年生になってから「あ、自分はこれをやりたかったんだな」という方向が見えた瞬間がありました。ところがそれは他の学科の範疇だったのでどうしようもないと思っていました。そうこうするうちに大学へ行く目的を見失い、何より小さな頃から続いていた人との関わりの難が苦しくて仕方がなく、2年生の夏休みから学校を半年休学をしました。その休学期間中に「そうだ、学科を変わる手続きをすればいいんだ」ということに気がつきました。
でも出来なかった。何だか変な規則だと思うのですが、当時、転科したいなら当初の2年間の間に一般科目の履修を済ませておくことという時限に関わる規則があったんです。それでもダメ元と思い、学校へ転科について電話で尋ねてみたら「できる」とのこと。もうその時には暗い先行きに一筋光が見えた気がして喜んで学校へと向かいました。でも結局ダメだったんですね。「できる」と言われたから勇気を出して学校へ行ったのに、いざ事務室を尋ねたら「(先の)規則があってやっぱりできない」と。もう帰りは電車に飛び込んでやろうかと思いました。できなかったのですが。
当時、自分が大学生の頃はカウンセリングを丁寧にしてくれるような体制が、自分の行った小さな大学では整っていませんでした。相談には行ったものの、「誰に学費を払ってもらっているんだ、誰に服を着せてもらっているんだ」などと説教を垂れられるばかり。いや、結構自分のバイト(これもしんどかったんですが。)代で賄っていたところもあったんですけどね。そう高圧的に迫られると何も言い返せなかった。それで一回限りで相談は終わりました。でもあれ、何度か繰り返していたとしたら、「そうする(転科する)のがいいならあと半年で一般科目の履修を終えらたら機会ができるよ」となったのかも知れない。のちに弟に言わせると「食べ逃した饅頭は大きく見える」らしいのですが、たいていの人はこれから食べようとしている饅頭も大きく見えているものです。
今の年齢になって、数年前に発達障害もわかって、親が高齢で重い疾患を抱えていて自分の先行きも見えないとなると「やり直し」のチャンスも選択の幅がとても狭まってくるものですが、20歳前後の迷いであれば、人にもよるのでしょうがその幅も自分が思っているよりは大きいものだと思います。決して空想上の大きな饅頭ではない。実際に大きいのです。もし学校がしんどくて道を変えたいなあと思ったなら、明日から別の方向を模索してみようと考えたとしても全く構わない。まず、どうしたらいいかわからないとなったら、道を歩くペースを一旦落として、今では充実しているところも多い学校の相談室へ向かってもいい。全く学校と関係のないところに相談してみてもいい。別に「こうでなければならない」という決まりはないんです。金を払って通ってやっている学校ぐらい、自分の好きなことのできる場であるべきです。決して疎外される場所になってはならない。