ここのところ、安いインスタントコーヒーをずっとブラックで飲んでいたら胸焼けするようになったので、やっぱりしばらくコーヒーは控えようかなと思う。美味しいと思うことはあるけれど、どこか惰性で飲んでしまっている時もある。本当はもっとお子ちゃまの口なので、スーパーで売っている粉のミルクココアなんかが口に合っていたりする。甘さが半端じゃないけれど、美味しく感じる。カフェインがこの障害や体調にいいのかどうかわからないけれど、ここのところ過剰にとっていたのは確かなので、またココア生活に戻ろうかな。
写真はもはやスマホで撮ったものが主体になってきている。毎回同じことを書いているようだけれど、それでも一眼レフの魅力は捨てきれない。もともとめんどくさがりと不器用なところがあるからレンズ交換をしないといけない時なんかは面倒に感じるけれど、それだけの作業をしても惜しくないだけの質感、臨場感はやっぱり大きなカメラ、大きなレンズでないと出せない場合があるように思う。今は初心に戻って(実はお金を工面するために。)レンズは一つしか持っていないけれど、またいつか余裕ができたら(って、できないだろうけど。)今度は自分が「これ」と信頼できるレンズだけを揃えていきたいなと思う。今持っているのはシグマの17-70mm F2.8-4.5 DC MACROというレンズ。初期に最初からセットになっていた標準レンズの代わりに使ってみたら近くのものから広い光景までよく写るのでとても気に入って、もう長い間愛用している。
これまで、評判のいい単焦点レンズを使ったことはあるけれど、確かにそれぞれの写りは素晴らしいのに最後にこのレンズを残すのは、それらの焦点距離をカバーしてなおいろいろな場面にズームで対応できるから。これはお金がなく面倒くさがりで不器用な人間がとる行動としては自然なものだと思う。カメラは単焦点レンズを使って慣れないとダメだという人もあるけれど、趣味として一眼レフを使う時に、そんなにレンズを揃える余裕もない場合が多い人もたくさんいる。それに何をするにしても「ダメ」ということはないんじゃないだろうか。要はやってみたいことをやるかやらないかというだけの話で。例えば「シャッターを切った瞬間にもうその写真は完成品」として後の修正を「邪道」のごとく言う人もある。僕はそれもどうかなと思う。
もちろん「一回勝負で満足できるものを撮る」ことができたなら、それは理想的だけど、人の見た目とその時その光景から受けた思いとのズレを、写真を適度に修正してやることでよりよく伝えられるのなら、僕はその方がいいんじゃないかと思う。写真がアナログからデジタルに移行して進化(退歩と見る人もあるのだろうけど。)したところがあるとすれば、そんな修正をわりあい簡単に出来るようになったところのように思う。今では大抵の写真管理ソフトに画像を補正する仕組みは付いているし、フォトショップのようなまさに写真を加工するために生まれてきたようなソフトだってある。プロが仕事で撮るような写真では、何層ものレイヤーを使ってフォトショップで修正・加工を積み重ねている場面もこの間テレビで見た。いわば写真に「お化粧」をするわけで、それがプロで仕事で行っている場合や趣味としても写真表現を好む人ならお化粧の仕方もそのツールも様々あるのだろう。
この間、植物園に行ってバラを撮っていた時、少し離れたところで三脚を使ってじっくりと同じくバラを撮っている人がいて、そういえば僕も安物ながら三脚を持っているのにまるで使っていないことに気づき、そしてその理由が「人前でそれを使うのが恥ずかしいから」というのが大きいことにも気づいた。そういうのは本当に損なことなのかも知れない。もっとも三脚を使ったからといって、その時自分が感じたことをより深く写真に託せるかどうかはわからないけれど、技術としてそれを使うことで有利になる面、時もきっとあるだろう。なのでそういうところでは自分は自分の特性のために損をしているような気持ちになる。
前にキヤノンがスポンサーになって、写真を生業にしている人たちが全国各地でその人たちの得意としている分野の写真を撮る様子を伝える番組があって、時々見ていた。もちろん!番組で使われているのは全てキヤノンの最新の大型一眼レフばかりなのだけれど、その中でも印象的だったのは、人を撮る時に相手に緊張感を与えないよう、話しかけながらシャッターを切ったり、いかにもいかついカメラに可愛らしいシールをペタペタと貼ってその存在をあんまり意識させないようにしている人がいることだった。あれは大切なことなんだろうなと見ながら思っていた。今、スマホで撮ることがこんなに流行っているのも、撮る方も気軽、撮られる方も気軽という面があるんじゃないだろうか。
いっとき収まっていた胃の痛みや胸焼けが、しばらくコーヒーの飲み過ぎでまたぶり返してきたのは我ながら浅はかだった。そして、しばらくそれを止めていた、寝る前に食べるべきでないものを食べる習慣も、症状を抑えるためにまた復活しかけてきていることもまた残念。生活も親が少し安定してくると油断してまた半分昼夜逆転気味になる。体力が落ちてくる。歩く気持ちがなくなってくる。
まあ、その時々、ぼちぼち行くしかないのだろう。