常の仕事をしていた時には少し高めのお店でも人と一緒に行くこともできた。でも今は毎月の光熱水費やら将来かかるかも知れない親の介護や医療の費用の事やら、今すぐ欲しいお金のことで頭を悩ませていることが多くなり、そういう贅沢はできなくなった。
androidの使い方になかなか慣れないのでiPhoneを使う生活に戻してみようか、なんて簡単に考えていたけれど、実際にそうしようと思うとまず機体を手に入れるところから始めなければならず、それをオークションなんかで探してみたらsimフリー機は特に高価な物が多くて手が出せない。出番が少なくなったコンパクトデジカメのXF1と、あまり使うことがないけれども写りが素晴らしいので持っていた唯一の単焦点レンズであり、唯一の交換用レンズだったタムロンの90mmも手放して、なんとかiPhone5cなら手が届くだけの額にはなったのだけれど、それだと以前の状態に戻るだけの話になって画面サイズも小さくなるしあんまり意味がないような気がした。5sの、同じくsimフリー機も考えてはみたけれど、性能こそ5cに勝るとはいえディスプレイのサイズはやっぱり5cと変わらないし、なんだか大切にできない気がした。
去年の夏以来の作業代がもうすぐ入るはずなのでそれも考えに入れたらiPhone6も手に入れることは可能だけれど、今の自分自身の状態を考えてみると携帯にそれだけかけるのはいかにも不釣り合いだしもったいない。結局、これまでどおりnexus5を使っていくことに決めた。この機体もグーグルがリファレンス機として開発しただけのことはあって、今でもアプリは快適に動くしカメラも工夫をすれば写りはいい。iPhoneの時には自分でセキュリティアプリを入れて頻繁に空きメモリを増やしたりウィルスチェックをかけたりする必要はなかったけれど、これもマックとウィンドウズの違い程度に考えて慣れていくしかないのだろう。iPhoneの閉じた世界とandroidの、ホルダー構造まで見せて自分で自由に操作もできる開いた世界。
言葉の上でのシャレになってしまうけれど、僕には・・僕の頭には、あんまり自由に触ることの許されないiPhoneやMacの閉じた世界は、自分自身の「自閉の特性(自閉症と呼ぶからといって一律に周囲から自分を閉ざすという解釈は間違ったものです。)」の一つ、「いつも同じパターンを好む」というところに合う。
そういうわけで、今、僕の身の回りにある「少しでもお金になるようなもの」たちは危険な状態にいる。今一番「身の危険」を感じているのは、2000年代も初頭に手に入れた自分にとって初めてのiPod。これは4年くらい前まで主に車で音楽を聴くために使っていた。その頃にはさすがに電池が持たなくなっていたのでネットで交換用の電池を探して自分で交換した覚えがある。今日、久しぶりに動くかどうか試してみたら、最新のiTunesでもちゃんと当時の機体の名前で認識されるし、音を聞いてもかなりいい。これなら今でも実用に耐えるのではと思い、譲渡を考えてみようかという思いが頭をよぎる。自分にとっては思い出深いものだけれど、ちょっとでも貯金をしたりしておくことの方が今は最優先になっていて、なんとも窮屈で寂しい感じだ。
僕は、2000年代の初頭から突然それまでの人との関係を切り、「不義理」な人間になった。きっと「裏切り者である」という認識は、僕には付いて回っているんだろうと思う。けれどそれには理由もあるにはあった。その事をいちいちここには記さない。僕はこの15,6年あまりの間、それ以前よりも人のことがとても怖くなった。一時期は病院の先生も、施設の職員さんやその周辺の人たちをも信じられない状態でいたし、今もそれが変わらないところもある。
不条理だと思うことも、仕方なくある。どうして自分がそれほど非難されないといけなかったのか。どうして自分が・・・と思う面も依然としてある。けれどそれを今さら持ち出してもと思う面もある。それでも、やっぱり「身の潔白」を証明したいこともある。
キラキラとしたものを見るのは比較的好きだ。小さな頃、どうして女性は化粧をしたりキラキラしたものを身につけたりするんだろうと不思議に思っていた。今でもあんまり飾り立てている?人を見るとその意識は働くけれど、それとは別に、光る石を指にはめたりする気持ちというものはわかるようになった。それは人とは違う分かり方なのかも知れないけれど。
中学校の時、光村の国語教科書だったかと思うのだけれど、川端康成の随筆が載っていて繰り返し読んだ。それはホテルでの朝、たまたま目にしたグラスたちを通してみる光がとても美しい、というような内容の作品で、実は当時の自分自身は「これが文豪と言われる人が書くような文章だろうか?」とかなり軽蔑していたのを覚えている。一般に小説家というものが「作家」として芥川賞やら直木賞といった文芸春秋社の主宰する賞を受け、「有名人」に成り上がっていく現象は今も変わらず続いている。ところがその文芸春秋社はアジアの侵略戦争の過程で政府に大いに協力した会社であり、戦後も常に自民党政権の守旧派に寄り添う主張を繰り返してきた。今問題になっている「ヘイトスピーチ」なんかも、元をたどれば、おそらくドイツなどでは法律的に許されないだろう内容の記事を堂々と書いている文芸春秋社の各雑誌や書籍に大いに関連があるのではないかと思っている。
今、文芸春秋社はいい仕事をしているように見える。経済産業大臣と建設業社の癒着を記事にしてみたり、その他、復興担当大臣の下着泥棒事件を報じてみたりなんたら大臣の、やはり口利き疑惑を報じてみたり、なんたら議員の、ああ、「イクメン議員」だったか、その議員の不倫を「暴いて」見せたりと、およそ自民党にとっては不利な情報を世間に撒き散らしている。けれどその、あれもこれもが最終的に自民党守旧派(主流派)に不利な結果として現れることになるかというと、僕自身はそうはならないのではないかと思っている。思えばロッキード事件を最も熱心に扱ったのは文芸春秋社だったし、オウム真理教の行っていた事実を積極的に取り上げてきたのもそうだった。そしてそれは立花隆氏や江川紹子氏といった、今では知らない人も少ないだろう人たちが「ヒーロー的」に登場するきっかけにもなった。ロッキード事件で自民党は打撃を受けたとはいうものの、第二自民党としての「新自由クラブ」のできる契機にもなり、当時決して党内で主流とは言えない小学校出の総理大臣だった田中角栄氏は逮捕された。そうして自民党は「膿」を彼一身に背負わせて存続した。朝日新聞社がまだまともだった頃、リクルート社と自民党政権との癒着を調査報道で暴いて、あの時には自民党はかなりの打撃を受けた。あれは自民党の主流が打撃を受ける報道だったので、以来、自民党は単独では政権を維持できない政党になった。
僕が、「文学界」に鎮座している大江健三郎氏や、先に記した立花隆氏、江川紹子氏といった人たちを本当に信じきることができないのは、この人たちが比較的マイルドな、保守派でもなく革新的でもなくといったところをうろうろとしながら、肝心なところでは必ず体制におもねるかのような発言や著書をものしているところにある。例えば僕は、「測定して大丈夫なら原発事故で被ばくの恐れのある土地に住み、そこで生産されたものを子供が口にしていい」という趣旨を主張する江川紹子氏の考え方に同意できない。
それで中学校の時に読んだ川端康成の「グラスの光に感動」の文章(あの「作品」の名前も意識にはもうない。)の話に戻ると、多分自分が実際にそのグラスの光を見たとしたなら、それは本当に感動したんだろうと思う。でも一時は東京都知事選挙で自民党候補を応援した作家がそれをものしていた事実もずっと後で知って、ああ、そういう人ならグラスの光に感動した!程度のことであっても立派な随筆として教科書にも採用され得たのだろうと妙な納得の仕方をしたものだった。