凧揚げ

夕方、父親が買い物に行くか?と言うので、出ることにしました。途中に寄った公園で誰かがカイト(凧)を揚げていました。ここ数年、カイトが空に揚がっている風景を見たことがなかったのでスマホで撮ってみました。
僕が高校に通学している頃まではまだこのあたりも田んぼが広がっていて凧揚げ(その頃にはもうカイトでしたが。)をやっている子供がたくさんいました。あれは本当に面白い遊びでした。小さな頃は昔ながらの紙の凧に、重心をとるための細長い新聞紙を自分で切って貼付け、家の前で走りながら揚げていたものでした。途中、ビニール製のカイトが流行りだしてからは皆がそれに夢中になり、僕も田んぼで空高く揚げて遊んでいました。あれは運動能力に関係なく、適度な風があればかなりの高さまで揚がってくれるので本当に面白かった。
唯一困ったのは、あんまり高く揚がるので高圧電線にひっかかたりすると(それで自分が感電することはありませんでしたが)糸がカイトの引っ張る力に負けて制御を失ってしまい、まさしく「糸の切れた凧」となってそのままかなたへと飛んでいってしまうことでした。運がいいとたとえ遠くても地面に落ちて拾うことができるのですが、そのまま電線に絡んでしまったり拾うのが不可能な場所に落ちてしまったりということもあった気がします。今日、カイトを揚げていた方も、もうひとつの方の糸が切れてしまって高い木にひっかかってしまっていた様子でした。
今になっても凧揚げをやってみたいと思うのですが、このあたりもかって広がっていた田んぼは次々に宅地に変わり、校庭なども自由に使うということができず、それがかなわない環境になりました。
反対側を見ると子供が木登りをしていました。僕は木登りはあんまりやらなかったけれど、やっぱり田んぼに積まれたワラの束をクッション代わりにして飛び跳ねたり(能力に長けた子ならバク転なんかもしていた)、中に空間ができるよう、かまくら風に組み合わせて中に入っては小さな「秘密基地」の感じを味わってみたりと、当時、冬でも外に出て楽しく遊べる材料はたくさんありました。特に田んぼがたくさんあり、ワラ束を自由に使っていても怒られなかったのは幸いでした。今はあの頃のように田んぼで遊ぶということができなくなりました。

元旦早々、交番に出かけてきました。父親がひとりで犬の散歩にでかけたのはいいものの途中で車や家の鍵を一緒にした物を落としたと電話をかけてきて、それで寝ていたところをむりに起き上がって現場まで出かけて一緒に探しまわったんですが見つからず、やむなくその届けを出しに。
おまわりさんがあまりこの土地に慣れていない方で、それでも住宅地図を繰りながら「ここですね、わかりました。では届いたら連絡をしますので。もしご自分でお探しになって見つかったらこの番号を警察に届けて下さい」と、とても丁寧な対応をしてもらえました。その後、弟たちが帰ってくるというのでいったん部屋の掃除をして弟たちが帰った後、夕方だいぶ暗くなってから「奇跡」を信じてもう一度同じ場所へ探しに行ったのですがやはり鍵は見つかりません。
これはもう見つからないかもしれないなと思い、今朝また犬の散歩がてら出かけようとする父に、「とりあえずこのお正月中に出て来ないようなら車は仕方がないとして家のドアのシリンダーは換えてもらおう」と話しました。昨日、いろいろと気を遣って疲れたのか、夜もよく寝れたのにやはりまだ眠く、再度横になって昼まで寝ていたら父親が帰って来て、はたして「ジャリジャリ」といつものあの鍵数本のこすれ合う音がするので、目をつむりながら「ああ、見つかったんだな」と思いながら起き上がったら、「あったわ」と。
昨日、現地で本人に詳しい足取りをきいたのに、それ以外に見逃していたところがあり、それも山野草の枝の密集した間という、ややこしい、まず人目につかない場所だったので見つからないわけでした。もっとも当人はそこで数本、山野草の枝を取った記憶もあり、実際僕もそれを部屋で目にしていたので、その時にそのあたりをよく探すことに気づくべきだったのです。鍵がきちんとポケットにしまわれていないままそこにしゃがんだ時に枝にひっかかって落ちてしまったようでした。
去年も一度同じようなことがありました。その時も交番に行き、今回と同じようなことを考えていたらやはり本人が庭で人と話している間に無意識のうちに山野草の間に置いて(落として?)いたのでした。今回のことをふまえて、鍵には鈴だけでなく大きな目につくものを付けておくべきだと思い、そう話しました。
実は僕自身が小さな頃からなくし物が多くて、さすがに年齢を重ねて経験を積む?ほどに学ぶようになり、鍵には少しカラフルで大きめの物入れを付けているし、どこかに出かけて席を立つ際には、なるべく振り返っておきっぱなしにしている物がないかどうかを確認するようにしています。それでも慌ててしまっていたりするとバッグをそのまま置いていきそうなぐらいのうっかり度に変わりはないのですが。
トム=クランシーの「レッドオクトーバーを追え」という作品の中で、アメリカの原子力潜水艦に追尾されるソ連の潜水艦が、時々追尾を警戒・阻止する目的で急旋回するシーンがあり、それを「イワン=ターン」と表現して、「これをやられるとこちらはじっとしているしかないんだ」と米潜水艦長が話すシーンがありますが、忘れ物をなくすための自分の振り返りも、心の中で「自分流イワン=ターン」と呼ぶことにしています。
今年、「もう年賀状は来ないんじゃないか」と思っていたらやはり下さる方もあり、それはうれしいのですが(20代の頃には本当に一枚も頂かなかった年もありました。)自分はまだ書けていません。頂いた方にはこちらからもお返しするようにと思っているのですが、少し時間がかかりそうです。
本当は先月に材料を渡してもらっている作業も手がけないといけないのですが、こちらは去年の夏にやった作業代もまだ頂いていないという全然違う理由でやる気をなくしています。作成に経費もかかるので、以前もお支払いが遅かった時に請求書を出したことがあったのですが、「請求書は必要ないです」ということで、なんとか次の作業までには報酬を頂いていたのに、担当の方が変わってからはついにこんなことになっているので、はっきりと「一ヶ月後には経費の支払いがありますので、ご面倒ですが都度、作業代を頂きたい」旨は話しました。母親にそのことを愚痴ると「止めたら良い」と簡単に言うのですが、自分としてもそう思うことはあるものの、数少ない社会との接点でもあり、不満は抱きながらも支払いが最終的にあるのであれば続けるつもりでいます。
年始から、特に父親の落とし物のことでかなり消耗したので、もう「神頼みしかない」と思い、今日は買い物のついでにずっと北の方まで走ってふたりで初詣をしました。僕はと言えば肝心の「大きななくし物が出ませんように」と願おうと思っていたところが、それは忘れてしまい、両親の健康を祈ったのみ。けれどこれで今年前半の大きなわるいことは終わったのであればそれはそれでいいのですが。まあ、そんなに簡単にはいかないのでしょう。

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