Google Chromeが来年の4月でOS10.6へのサポートをやめるそうです。せっかくメインのデスクトップと、それからノートブックの方も大方の領域を10.6にあてたばかりなのに、です。10.6なんかは仕事の都合でも使っている人がまだまだ多いと思うのだけど。もちろんそれ以降でも動作はするので使えなくなるという訳ではないそうですが、このブログをはじめ、IDやパスワードでログインできるサイトを利用するのはできればやめた方がいいのでしょう。
そもそもアップル自体、OS10.6のアップデートはしていないし、実は今も既にこのOS上でデリケートな情報を扱うのはやめておいた方がいいのかも知れません。最近はMacの市場もiPhoneと連動して広がり、かってのように「MacはWindowsのようにウィルスやワームに悩まされることがない」という「売り」も通じづらくなってきたようです。
iPhoneを使っていた時、ブラウザはsafariをメインに使っていました。でも今使っているスマホはnexusです。必然的にブラウザもChromeを使うようになります。
この夏、お金的なことと、それから画面や文字の大きさにやや不便を感じ始めたことでandroidに変えることを検討しました。最初は画面がかなり大きくてタブレット的にも使える機種を中古で検討していたのですが、中古とはいえやっぱりそれなりの性能のものは高いし、iPhoneと違って機体にでかでかとキャリアの名前が入っているのがどうもいやでした。どうしてキャリアの名前なんて強調するのかな。機体に使うのならむしろその機体固有の名前やマークを強調した方がおしゃれでいいと思うのだけれど。iPhoneの機体に「DoCoMo」とか「au」とか入っていたら、かなり批判が出ると思います。それは人が「iPhone」という名前とアップルのリンゴマークに価値を見いだしている面が大きいので。
それはそうとしてandroidにするのにどうすればコスト的にも使い勝手でも、贅沢だけどブランド的にも自分として満足できるのかなと迷っていたらワイモバイルがnexus5の在庫をほぼ無償で、月々の料金もMVNOと変わらない(電話として使う場面が多いほどむしろ安い。)で販売するキャンペーンをやっていて、衝動的にそちらに気持ちがいきました。
nexus5はLGが製造しているとはいってもandroid OSを開発したグーグルがOSの素の性能を確認するために作ったような機体だと思っていたので、いわば「純正」です。その証拠に新しいバージョンのOSをグーグルが発表したらまずnexusシリーズに供給されるようです。今回もandroid6「マシュマロ」が供給されたのは早かった。
ブラウザの話からスマホの話になってしまいました。しかも前にも書いた気がする、このことは。
パリで凄惨な事件が発生しました。
ここのところ両親の診察が続いたので朝に起きているのですが、今朝は起きてからまずニュースで九州で地震があったことと、パリで市民への無差別襲撃事件があったのを知りました。地震があったと知ったときには川内原発が大丈夫かな?とまず思いましたが、パリの事件については最初あんまりピンとこなかった。ところが病院行きの準備をしている間にも被害の様子が伝わってくるにつれ、先進国市民への攻撃としてはかなり大規模で計画的に行われたものらしいことがわかってきて、これは大変なことだと思いました。
でも一方ではシリア内戦をはじめ、イラクやアフガニスタンなど、中東でアメリカやフランス、ロシア、トルコなどなどの国々が関与している戦争では、貧しい市民がほぼ連日何十人という単位で死者を伴う被害を出しています。そのことにはあんまり同情は集まらず、たまにこうして先進国の首都なんかで多くの人が犠牲になる襲撃事件が発生すると、それは大々的に取り上げられて世界中から同情が集まる。この風景はなんだかおかしいなあと思っています。
確かに、ニューヨークやロンドン、パリは世界経済を動かす拠点でもあるし、それぞれがもっている文化の恩恵に浴している面も大きい都市です。そこで国が戦闘行動を行っているつもりはないので、「9.11」のときやイラク戦争に関わってのロンドンやマドリードでの散発的攻撃が起こったときには相当に「異常」なこととして世界中が敏感に反応しました。でもなんだかおかしいなと、僕は思ってしまいます。被害が出たことについて心配しなかったり同情しないということではなく。
たとえばベトナム戦争の時に沖縄の米軍基地から大量の武器弾薬が現地に運ばれていきました。ベトナム戦争も終盤になると、沖縄は正式に日本に「復帰」していました。その時も戦争は続いていてむしろ激しさを増していた。すると論理としては南ベトナム解放戦線の兵士がアメリカ軍の兵站になっていた沖縄や日本本土をなにかの方法で攻撃してきたとしても、戦争状態にあるのだから特におかしくはないということだったと思います。ただ、当時はアメリカという世界のスーパーパワーを前にそれだけの力が相手になかったというだけのことで。
今回のパリの事件も、フランスとしてはシリア内戦に関わり、「IS」職滅作戦に加わっているので、それに対して「敵」やそれに呼応する集団からの応戦があったとしてもそんなに驚くべきことじゃないのではないかと思ってしまう。繰り返しになりますが市民の犠牲を悲しく思わないわけではないんです。ただ、戦争をしかけていて相手がそれに応戦をしてきた。それが意外にも自国の首都での銃を使った無差別の襲撃だったということで驚きは大きかったわけですが、一方で中東ではやはり市民にほぼ連日大きな被害が出ているのにニュースの扱いは小さく、一方でのそれは世界中の反応がとても大きいというところにどうしてもひっかかってしまう。人の命には住む国やその力関係によってやはり軽重が付けられてしまうんだろうかと思ってしまう。
確かに「IS」や最近のイスラム教を信奉しているとされる武装組織の行動の野蛮さにはおどろくものがあります。でも、いわゆる先進国が中東やアフリカ地域で行ってきたこと、行っていることへの残虐性にももう少し注意が払われるべきだと思うのです。
特にイスラエルの建国でパレスチナ人が住む場所を追われて以降、よく聞く「パレスチナ問題」が起こり、その解決にアメリカを始め、今「IS」の攻撃対象にされている国々が消極的だったこと。自分たちの権益を守り拡大することの方に力を入れて、この問題があることで起こる中東各国の負担やイスラエルの横暴をほぼ無視し逆に支援してきたこと。その過程で4度の戦争が行われ、イランイラク戦争が起こり、クルド人の虐殺があり、ベイルートに追いつめられたパレスチナ人たちにもそれが行われたこと。
アメリカが今世紀に入って「テロとの戦い」という新たな概念を作り、「タリバンへの報復」をきっかけに中東への介入を表立って大幅に深めたこと。その過程で、今の「IS」に通じる非常に過激なイスラム思想を背景にした集団が現れてきたこと。それがパレスチナ人をはじめとしてアラブの貧しい民衆を支える福祉機関としての役割も果たし、支持を広げてきたこと、などなど。
勉強していないのであんまり詳しいことは言えないけれど、「アメリカやフランスやイギリスが一方的に残虐なテロリストの標的にされている」というような歴史を見ない評価はいったん「チャラ」にすべきだろうなと思うのです。そしてもう、「テロとの戦い」を実力で行うのは対処的にして、大元のところから、イスラエルとパレスチナとの確執の火種を消していくところから手がけていく。中東への人道的支援をNGOを通して強化していくなど、本当に地道ですぐには解決に至らない手段かも知れないけれど、そこに住む人たちが当たり前に平和に過ごせる環境を作り出していくことに本腰を入れていくことしか、もうこの悪い連鎖を断ち切る術はないように思うのです。