あぁ、この間は支援員さんを困らせるような面談にしてしまいました。ダメだなあと思う。そして、前回の診察から割合に平穏に過せていたのに、昨日は以前あったいかり発作みたいなのが出てしまい、こちらもダメ。ダメダメの最近です。けれど・・・調子がわるい時期にそういうことがあったとして、それはもう全く不自然な話なのだろうかとも思うのです。傲慢なようですが。むしろこういう時には混乱して当たり前で、それがないのだとしたら先生もわざわざ診察間隔を短めにとって様子を見られることなんてないはず。
それで思ったのが、「割合順調だと思っていたのにやっぱりいろいろと気になったり、実際に人と会ってみるとダメな態度をとってしまったり、問題になっている行動が少なかったものがまた出て来たりということについて、それがものすごく異常なことだとあえて思わないようにする」ことです。
「ダメダメだぁ」という思いに押しつぶされそうになるけれど、そこは無理にでも目をつぶって、「今はそういう時期だから仕方がない。それは先生に今度話せばいいんだ」とあえて思う。嘘でも思う。タイトルに書いた内容はそういうことです。つまり、一般的に言われるようなうつ気味なときのこころがけは、本当に一般的なもので「それが平均的には良い」とされていること。
けれども一概にうつと言っても人によりその現れ方は様々なので、僕が考える「こころがけ」は、
「今はおかしなことがあっても仕方がない時期なんだ」と思うこと。でないと「自分などやはりこの社会にいても仕方がないし、人に迷惑をかけるだけの存在だ」という思いしか湧いてこない。恐らく、それは支援員さんや先生、また家族にとってみても望むことではないと思う。
悲しませはするけれど、あるいは不条理なことと思われたりするのかもしれないけれど、ここはひとまず、「今はそういう時期であり、それを先生に話して、必要なら薬を調整してもらうなり指導を受けるなりすることだ」と無理にでも思う。そして相手があることなら稚拙でも謝罪はしておく。そこは「調子がわるいので」とかなんとか尾ひれをつけるのでなしに、悪かったと思う気持ちをとにかく伝えるだけでいいのではと思います。特に事情を知っている人が相手であれば。ということを今回学んだ・・気がする。
家族についてはできるだけ自分が穏便に対するように心がける。ただでさえわかりづらい障害や症状を高齢の親に今更よく理解してくれと言っても、それができないのは仕方がない。
昨日は外に出たけれど、ダメだった。それ以前、ずっと体がくたびれた感じで少しは外の空気を吸った方がいいのかもと思ったのが間違いだった。犬の写真などこうして撮ってみたりしたけれど、なんだかすっきりとせず、疲れていた。なのでダメダメになった。誰も付いていてくれて様子をみていてくれるわけではないから、ここは次の診察まで、自分のからだと気持ちに正直に、たとえ怠惰だと思っても一日寝ていたいのならそうしていた方がいい。「やらなければ」と思うことはたくさんあるけれど、もしそれが無理なら今やれなくてもいいと思った方が、多分いい。