古いレンズ

このノートの横に「カテゴリー」というウィジェットがあって、打った文章にそれぞれふさわしいものを付けるようにしています。ブログには以前からあった仕組みで、これによって自分が過去に記した文章をその内容によって仕分けることができたりします。他の方のブログを見て回っていると僕の作ったカテゴリーは相当大雑把だなあと思うんですが、このくらい大雑把でないと文章を記したあとで「さあ、これはどのカテゴリーに入れるべきか?」というところで大いに悩むんじゃないかと思ってそうしてきました。
でもここ数日ちょっと考え方が変わってきて、たとえば「特性」と一言でくくっても、その中には身体にまつわることとか、障害に関わった癖とか、実際にはいろいろとある。だったら「特性」の下層で、そのいろいろとある属性を再度分けてみるのも意味があるんじゃないかと思って、昨日から文章を読み直しつつ、どんな「子」カテゴリー名にしたらいいのかを考え始めています。すると、ひとつの文章に一つの「子」カテゴリー名がつくような状態になってきていて、もうちょっとうまい整理の仕方がないものかと思っているところです。ただ、一度はそれを実現したいと思っています。発達障害は本当に見た目ではわからないしわかってもらえない。実際、自分の記事ひとつひとつを読み返しても、それぞれは大したことがないように思えることもあります。でもそれらが重複してくると本当に生きるのが辛くなってくるような社会的障害が起こってくる。そんな風に自分については思っています。

8年ほど前に写真に興味を持ち出して始めてデジタル一眼レフカメラを持ったときに、カメラ本体よりもむしろレンズによっていろいろとおもしろい写真が撮れるということをわかっていませんでした。とりあえず考えたのは、一眼レフカメラというものはレンズが交換できて、そのレンズの中には対象のすぐそばまで寄ってアップが撮れるマクロレンズというものもある。そしてその反対の望遠レンズというのもある。どちらもおもしろそうだと思ったものの、レンズ単体で結構な値段がするので手に入れるのをためらっていたところ、デジタル一眼でも同じメーカーのものならフィルムカメラ時代のレンズが使えるということを知って数千円で古いマクロレンズを手に入れ、初めて撮ったのがこの記事の写真です。
今見ると自分の「腕」のせいでピント合わせがいまいちな部分もあるものの、なかなかよく写っているように思うのですが、当時はまだ「古いレンズ(しかもフィルムカメラ時代のもの)は新しいレンズの代替品にしか過ぎない」という意識が強かったこともあって、撮った写真にもそのレンズにもそんなに愛着がわきませんでした。「偏見」があったわけですね。その後、そんなに枚数も撮らないうちにそのレンズは次の持ち主のところへと渡っていきました。でも今になってみたら「あのとき惜しいことをしたなあ」なんて勝手なことを思ったりする。もう少し我慢して持ち続け使い倒す価値のあるレンズだったと思います。
今はカメラにも費用をかけていられないのですが、それなら今あるレンズでできる限り自分が満足のいくものを撮っていくことを考えればいいんだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です