まっすぐ伸びれなかった木

最近BSでテレサテンさんの特集番組をやっていたのを観ました。子供の頃、番組中ドリフターズの長さんにきれいなおでこをペタンと叩かれていた彼女をまだ覚えています。BSの特集の方はそのもっとあとのこと、彼女が歌手としての全盛期を迎える中で、祖国の民主化を望む思いがその歌にも行動にも現れていくストーリーを綴っていました。天安門事件で民衆の思想信条の自由を力で踏みにじった当時の中国共産党政権への抗議の意思と、それにあらがう人たちへの共感が、彼女の歌う力にもつながっていたのだと今になって知りました。
天安門事件については、湾岸戦争(第一次イラク戦争)や「ベルリンの壁崩壊」なんかを契機に評価を高めつつあったアメリカの24時間ニュース専門ケーブルテレビ局CNNの記者が、最後まで現場にとどまってよくその様子を伝えていたように憶えています。あれからCNNはアメリカでも割と中庸な、事実にできるだけ寄り添って伝えることを大切にする局として発展していったのではないかと思うのですが、2001年に起こった「9・11」事件でワールドトレードセンター2棟が崩壊してからは、「私達もアメリカ合衆国のメディアである」との立場をとり、政府の報道統制に従う姿勢を鮮明にしました。それは僕にはとても残念なことでした。

ともかくもあの事件を契機にブッシュ政権が「テロとの戦い」という言葉を盛んにメディアに流させて、まず「アルカイダ」を支援しているという口実のもと「タリバン」が支配するアフガニスタンを攻撃してこれを散逸させた後、そこで終わらせておけばまだよかったものを、ついでに「大量破壊兵器を作っている」として国連決議を無視した上で日本やスペイン(イージス艦売却のお得意様)の同意も得てイラクにまで攻め入ってしまい、それが今日の「イスラミックステート」の横暴に手を焼く事態にまで至っています。
元々、「アルカイダ」を率いていたとされる「ビンラーディン」氏は、ソ連がアフガニスタンに軍を投入して政権のテコ入れをはかった時に、CIAから軍資金を提供されてソ連軍にゲリラ戦(聖戦)をしかけていた人であり、アメリカはその「自分たちが育てたイスラムの戦士たち」に攻撃を受けたという、回り回っての話ではあります。
それ以前にはイギリスがアフガニスタンを挟んでロシア帝国と「グレートゲーム」を展開していました。インドを植民地化した上でさらなるアジア大陸制覇を目論んだイギリスが、その北進を恐れるロシアとアフガニスタンを挟んで争っていた。もしシャーロックホームズが好きな人だったら、ホームズの片腕として活躍するワトソン博士がこの戦争に参加していたことがあるというあたりでピンと来るだろうと思います。
それで話が最初に戻ってしまうのですが、いっちゃん最初に「金田一少年の事件簿」が実写ドラマ化されたとき、堂本剛くんが最後に歌っていた曲、「ひとりじゃない」とかも好きだったなあ。あのとき「はじめちゃ〜ん」と、金田一を慕っているのに一定の距離をとる。けれど事件にいつも一緒に絡んでいく女の子役をしていたのがともさかりえちゃんで、今では「ちゃん」とつけるには失礼な若いおかあさんになっておられます。
なんで今の年齢になっても、肌に心地よい強い風を受けてなお前をまっすぐ見つめるかのような、若い時にいっそう敏感な欲得のない雰囲気に心引かれるのだろうと思う時に、自分が10代、20代の頃、仲間と呼べる存在が作れずにいた現実へのあらがいが今も胸にあるからじゃないかと感じるのです。
小学生のとき集団の中にいることに疲れ、中学生の時その集団に関わることをあきらめ、高校ではまったくひとりだった。その頃から神経症的症状も出始めていました。まっすぐに伸びることのなかった自分という木。でも本当は空に向かってまっすぐに、周りの木といっしょに伸びていきたかったのです。その気持ちを、今になっても諦めることができないのです。

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