この投稿の写真は2010年に撮ったもの。今年は紅葉をほとんど撮っていない。それと今年一眼レフで撮った写真をAperture上で数えてみたら400枚余りしかなかった。コンパクトカメラやiPhoneで撮った分があるにしても、これはさすがに少ないなあと思う。もう少しがんばって撮らねば。ただ、撮ろうという思いが湧いてきにくい。
そういう年代にいるのだから仕方がないことだけれど、少し時間ができそうだなあと思った頃合いに親の調子がわるくなったりする。するとその時には自分にも緊張感が出てくるから(あんまり好ましいそれではないけれど。)、その期間を病院への様子見やら家のことをしながら気を張って過ごす。なんとか本人が落ち着いてきて時間が出来てきたと思ったら、今度はその反動がやってきて気分が沈んでしまい、あんまり動きたくなくなる。
自分が何も出来ていないようだと慨嘆したら、ネット友達から「(親と)一緒に住んで病院に付き添ったり買い物したりしているでしょう。家の中をご両親の住みやすいように心を配っているでしょう。それが介護でなくてなんなんですか?」
「外に出て働くのも大切ですけれど、家を守る、家族を見守ると言うのもとても大切な仕事だと思います」
という言葉をもらった。以来、「今自分がすべきことはやっているんだ」という肯定感は以前より出てきた。疲れは常に感じるけれども、その時にはこまごまと休むようにしている。今日、午前は洗濯機をまわし、乾いたものをたたんでそれぞれの場所になおした(放り込んだ)。父親の通院に付き添って、帰りに鶏鍋の材料を買い夕飯をつくった。食べたら疲れたので寝て、起きてから母親に必要になったインスリンの注射をしてから洗い物をしてシンクの掃除をした。ゴミをまとめた。
夜、どうしても疲れがきてちょっと眠るとき、犬が同じように横になってからだをくっつけてくる。今日もそうだった。昨日カットをしてやったばかりで、バリカンをかけてすっきりとしたおなかをなでてやりながら寝る。親が言うにはその間犬も同じように僕にくっついて寝ているらしい。起きてぼうっとテレビを見ているとき、前足を左手にかけてきたので抱いてやったけれど、あれが何を言いたかったのか。たぶん「もうちょっと一緒に寝よう」と言いたかったんじゃないかと。それでも僕はもう寝足りたのでまたテレビに気をとられている間に犬がどこかに行ってしまい、二階にまで上がって探したのにみつからない。外へは行きようがないしおかしいなあと思って母親のベッドの下を覗いてみたら、せまくて暗いそこで床に伏せていた。