母親の退院後は引きこもっている時間の長い自分のことを気にしてか、父親が夕方の買い物に誘ってきたので犬といっしょに外へ出てみた。散歩をさせた公園で空を見上げると、もう夏の分厚い塊のような雲はなく、秋の、筋状のものや綿菓子を細かくちぎったような形のそれらがキャンバスに描いた油絵のような造形で浮かんでいた。僕はiPhoneを取り出して上ばかり見上げてはその様子を撮った。ベネディクト=カンバーバッチが演じている現代版シャーロックホームズはいまだに天動説を信じているという設定になっていたが、特にそれでもたいした問題はないんじゃないかなどと思いながら。
iPhoneといえば弟が僕の使う低料金のSIMが最新OSに対応していないことで不具合がないか?と尋ねてきたので、確かにアップデートができないので万一本体に不具合が起きたときなんかは困るかも知れないことを伝えた。ただ、iOS8.1は7と見かけがそう変わるわけではないし、あえて自分が欲しい機能としてはiCloudドライブが使えないぐらいで、それはどうしても必要ということでもないし現状不便なことはそれほどない。
うつうつとした気持ちは母親の退院(それもいつまで続くかわからないが。)とともに少し軽くなってきたけれども依然としてある。自分が体調をこわしたこともあり、しばらくは家事も洗濯程度で洗い物なんかは父親に任せる日が続いたけれど、今日は買ってきたもので自分と父親用には肉うどんを作った。母親のからだは栄養とカロリーバランスに前よりだいぶ気をつけないといけなくなっているので病院で指導をうけた際にもらった業者のパンフレットを見て、栄養やカロリーの管理された冷凍食品を一ヶ月分ぐらい購入しておき、解凍して使っている。毎日そればかりでも飽きるだろうから、あんまり極端にならない程度で普通の惣菜で全員済ますこともある。
検査の侵襲性について気にする母親は、「先生から検査がちょっとしんどいと聞いた」とゆうべもあんまりしつこく言うのでもう説明するのはあきらめて「先生にはしんどくならないように俺が言うてやるから」と返している。するとしばらくはそれで何も言わなくなる。幸い直近の外来はそんな類の検査がないのでそのことを伝えると、本人はようやく顔色がよくなる。けれど付き添う身としては病院の風景にすっかり飽きた!し、同じ日の夜は父親を診療所へ連れて行かなくてはいけないと思うと気が重くなってくる。二三ヶ月に一度の父親の病院での検査と診察については弟に休みをとってもらって付き添いと状態の確認を頼めないものかと、今日など考えていたけれど、どうやら親の健康管理の手伝いをするのはこの「平成」の時代になっても身近にいる長男と決まっているようだ。時間もあるのだし。でも障害もあるのだけどな。
「親なき後」という言葉が切実に聞こえる歳になったけれど、この情報の氾濫している時代、必要なことは親の判断力のある間に必ず考えないといけない状況に否応なくなっている。しかしそういう類のことは一度にはカタがつかないものでもあるし、カタがつくものから具体化していく今の方法しかやりようがない。そして親がいる間はなるべく親も自分も、それぞれがそれぞれの楽しみも大事にしながらやっていくだけのことなのだと思う。それでもどうしようもない事については・・・ともかく、あんまり物事を固定的に捉え過ぎずに「中間の道」もあることを頭の隅に置いておくことは大切なのかなと思う。