気持ちのいい服がない

2014082501
今年の夏ほど、「夏」という季節を感じなかった年がこれまであったかな。とにかく、もう夜には秋の虫が鳴いている。父親の買い物のお付きで少し離れたスーパーまで出かける途中の公園で犬を散歩させる。何度か来るうちに、彼にとってはそこがすっかり気に入りの場所になったみたいで、ロープを手から離すと付かず離れずという感じで歩道や草原をピョンピョン跳ねるように歩いたり走ったりする。周りの家の数に比べたらもっと人がいてもいい場所だと思うのに、いつもほとんど人を見かけない。
樹にセミがとまって鳴いていたので素手でとってやろうかと思ったけれど、子供の頃はまったく平気だったそのことが今はできなくなっていた。「もう俺、セミ、手づかみできひんわ」と父に言うと、父親は静かに樹に近づいてセミをつかみ、犬の顔に近づけてからかう。子供の頃は目の前の樹にとまってジージー鳴いているセミを見つけたらあんなに胸踊ったものなのに。
2014082502
体力が落ちていて、ついでに気持ちの不安定さも増している。部屋を整理して掃除しただけで一日ダウンしてしまうし、過去のことを人や親に話している間に気持ちがわるくなる。
この間、若い人たちに混じって能年玲奈ちゃん主演の「ホットロード」を観ていたら、出てくるのが80年代の車やバイクだったのでその頃の自分のことを思い出して(高校を出て大学生活を中途で挫折してアルバイトをしていた頃)気持ちがわるくなり、途中で観るのをやめて外にでようかと思ったけど、お金ももったいないしなんとか最後まで観た。あの映画は80年代を舞台にしていたからその頃の車やバイクが出てきたのであって、現在を舞台にはしていなかったのだということに気づいたのは見終わってだいぶ経ってからだった。(こういう間の抜けたところは僕の属性だと言える。映画やドラマを観てストーリーが一度でだいたいわかる、ということもまずない。人の顔の区別がつきにくいということもその原因にある。)すると、僕にとってはただ若い頃に見慣れたものたちが、他の若い人たちにはとても新鮮に映っていたのかも知れない。僕はバイクにも、群れて暴走する気持ちにも(映画内でのあれら集団の描き方は現実離れしたロマンチックに溢れている。)、「複雑な家庭環境」にもまったく興味が無いのでなんのために観たのかさえわからないような作品だったけれど(「あまちゃん」も観てないし。)、ただ主題歌に「OH MY LITTLE GIRL」が流れたのは良かった。

2014082505
障害の受け入れが十分でないのがしんどかった。自閉症スペクトラムの最も濃いところまでもいかないが、二次的障害である神経症の部分も含めて生活していくには不具合を感じるので、「障害受容」と、「やれば自分もできるはず」という「努力の不十分さを思うときの呵責」との間で悩むことが、特に診断を受けてからずっとあったし今もまだそれを払拭できていない。これを解決していくには自分の身体に生れつきあった機能的障害(狭い意味での障害、「社会的障害」とは異なると自分が考えているもの。)を、覚えている限りの過去から、親の記憶も借りてたどっていき、まずそれのあることを受け入れる作業をするしかない。そうしなければこれまで、そして今起こっている不具合を自分にも他人にも「説明」することができない。
その上で今後も生きていこうとするならば、自分の「取り扱い説明書」を少なくとも自分の中だけでは作成しておく必要がある。
2014082504
生れつき明らかに機能的障害がある、と周囲もすぐに気がつく類のものであれば、この作業もほとんど必要がないんじゃないかと思う。あるいは人生の途中の病気や事故で障害が発生した場合も(だからといって社会的障害もないとか、迫害が少ないとか言うわけではない。)。ただ、発達障害については、特に知的障害を伴わない場合には、その「濃度」が十分に濃くないと「自分の努力が足りないから、自分がだめだから周囲に馴染めないのだ、人とうまくいかないのだ。勉強や仕事ができないのだ。自分は周りに迷惑をかける、よくない存在なのだ」と小さな時から常に思うようになっていた、僕の場合。
反面、努力をしているつもりでもうまくいかないことが重なる生き方は社会に対する反発心にもつながる。他人もこちらを障害者とは見ないし、そこで不具合が起これば「あれは変な人(子)だ」ということになって、それは決して同情にはつながらず時に怒りや批判につながる。二次的障害が起こるが、一般的にはそれは克服すべき「癖・性質」程度にしか見えないし、自分でも確かに「普通」であろうと力を入れてきた。でも、そのエネルギーはいつか途絶える。僕は中学二年のときにそれが途絶えた瞬間を覚えている。(それでも否応なく、無意識のうちにやはり「普通」への努力は続くのだけれど。)ただその時でさえ、強い疲れは覚えていたものの、それが機能的障害と二次的障害を補うためのエネルギーによる消耗だとはまったく思いつかないでいた。
2014082503
なのでその後の僕はまったく抜け殻みたいな存在になった。ただただその時々のうまくいかない環境から逃れることを考えたし、この流れを再度「リセット」できないものかと新しい学校や大学に望みを託したものだった。けど、それは本当に「夢」でしかなかった。
そしてまた小さな頃のことからを思い起こしてみると、「服を着て気持ちがいいと思ったことがあんまりなかったなあ」(変な話、身体のしんどい時に誰にも見られない場だったら、僕は服を脱いで裸になりたくなる。)とか、「ひとつのことにこだわり始めるとかなり疲れるまで空腹を感じることが少ないなあ(朝からパソコンを触り始めると夕方まで水も飲まずにそれをやってて突然疲れに気づく、など。)」とか、他人から見れば「変な癖」でも自分にとっては長い間そんなことにエネルギーを使ってきたことが、ずいぶんと遅れてポツポツと思い出される。