聴覚過敏?


数年前に知り合いの方に冬の海辺へ連れて行ってもらった。曇り空だったけれど、砂浜は夏のそれとは違って静かできれいだった。おだやかに打ち寄せる波を間近で撮ろうと夢中になっていたら急に大きな波が来て足まで浸かりそうになり、急いで後ずさりしようとしたら尻餅をついてしまった。カメラが濡れなかったのが幸いだった。
今年は遠くにはどこへも出かけていない。この年ぐらいまでは両親を乗せて温泉などにも出かけていたが、それ以降、特に母親の体に不具合ができてからはもう泊まりがけで出かけることもしにくくなった。
母親の不具合の前には父親が入院していた。その後、父親は去年の夏まで断続的に入院をして大きな処置を何度かした。母親の方は二度、整形科に長期で入院し、今は二人とも地元のかかりつけ医にも通いながら、その後の経過を病院で診てもらっている。
先週、父親の付き添いで病院へ向かう途中、話しながらふと助手席に座る父の顔を見ると、以前の感じに似に異変が見られたので、科は違うけれどもそれについて「今日、先生に話してそこも診てもらえるように予約しとこう」と提案した。幸い、その日のうちに異変部(?)をとって検査にまわしてもらうことができたが、先生はいい可能性とわるい可能性の両方を淡々と話されるのみで、こちらはその結果を一週間待たなければならず、その間、本人はもちろんそうだったろうけれど、自分自身、とても気に病んだ。
それ以前、部屋の片付けなどで重い物を何度か持ち運びしていたのが悪かったのか、僕は左手の親指の付け根から手首あたりにかけて、時に強い痛みを覚えるようになっていた。けれど父親のことがずっと気になって仕方ないので、やっぱり部屋の片付けをしたり、車のタイヤを冬用のものへ交換したりしながら、なるべく別の事に気持ちを向けるようにしていた(実際はあまりそうできなかった)。そうして今週の始めに結果を聞きにいくと、今回はわるいものではないということで、父親はその瞬間からとてもほっとした様子だったけれど、僕は「良かった」と思ったのに、どうしてか緊張感が続いてほっとすることができないでいた。帰り、いつもはそんなことを言わないのに「コーヒーでも飲んで帰ろう」と父親は言うので、病院の喫茶(といっても街中にあるチェーン店と変わりない)に寄って診察代より高い代金を支払って飲んで帰った。

帰ってから、僕は自分の左手の痛みが依然として引かないのを思いだして、地元の整形の診療所で一応診てもらうことにした。すると腱鞘炎ということで、「ヒビでもはいってしまったのかも」とうっすら思っていた骨の様子は自分の目で見てもきれいだった。痛みはやっかいだけれど原因がわかったのは良かった。先生は「注射をしてもいいけれど、抗炎症剤を貼っておいてもいい」と言われたから、たぶん注射をしても一時的に痛みが治まるだけなんだろうと思って、家にたくさん余っているロキソニンテープを貼りますということで、このことは区切りがついた。ついたんだけど実際にはなにか面倒でテープも貼っていない。今から考えれば注射をしてもらってもよかった。
話がまったく変わるけれど、そうして毎日を漫然と、よく落ち込みや痛みを覚えながら過ごしていたら急に年末が近づいてきたようで、そういえば11月に預かった材料をつかって印刷物の形を粗方作っておかないとそろそろまずいようだと焦ってきた。「どうせお渡しはまだまだだから」と油断していたら、毎年、1月ぐらいからは急いで作業をしていたような覚えがあるなあと、気になりだした。
そして、しばらく前からMacの電源に不安があり、起動もボタン二度押しでないとできなかったり、スリープすると復帰してこなかったりという症状があることもまた、気になりだした。もし作業をしている途中で、たとえば急に電源が落ちたり、起動もしなくなったりという状態になったらとても困ったことになるなあと。
さっさと修理しておけばよかったのだけれど、アップルに問い合わせると電源単体の交換だけでも5万あまりするというので躊躇していたのだった。それでこの際、ずっと以前はそうしていたように、Windowsに環境を変えてしまったらどうかと本気で思い始めた。有名メーカー性のものでない、汎用性のある部品で組み立てられたものなら、たとえ電源が故障しようが、数千円あれば市内のお店でもすぐに調達してこれるし、家を出れないならAmazonでも買える。機械の面倒を自分で見れるのなら不具合が起き始めても最小限のコストでまた普段通り使えるようになるのはWindows機のいい点だし、最初は機体自体やソフトの購入でお金がかかるけれども、長く使って行くうちにそれも償却できていくだろうと思って、実際にメモ帳へどれぐらいの予算が要るものか具体的に書き出すことまでした。
家の物干室を勝手口覆いの代わりに付けてもらったのが数十万かかり、その上の出費は無謀な感じがしたけれど、この際「ついでだ」とやけくそ的な気持ちでもうほとんどWindowsに環境を変えることを決心しつつ、それでもひとつだけ、どうしても気になることがあったので、Macの仮想環境に入っているWindows7をたち上げてワードを起動し、少し文章を入力してみたら、さっきまでの僕のWindowsに対する熱情は一気に冷めた。
これはMacがOSXになってから特に感じ始めたことだけれど、どうしてWindowsはフォントの表示が貧弱なんだろう。高精細で大画面のモニターが安価に手に入るようになって、ますます小さな文字までも鮮明に見せる要求も出て来て久しいのに、マイクロソフトのワードプロセッサであるワードでさえ、初期の表示サイズだと打った文字が明朝体なのかゴシック体なのかさえ判然としないように、自分には思える。イラストレーターのような、ソフトウェア自体が文字表示に気を遣っているものならMacと変わるところは少ないのに、サイトを見るような時にもフォントの不鮮明さ、貧弱さがとても気になる。なんだか、それだけでも気持ちがなえてしまう。
もうひとつは、Macは動作音がとても静かだ。これが周囲に人がいるような状況で、別の音がたくさん聴こえてくる環境なら、このこともあまり意味はないのだけれど、自室で比較的しずかな環境にいると音の問題は僕にはとても大事なことだ。子供の時から雷が鳴るとその音にすごく驚いていたものだけれど(それで小学校の時にはばかにされたこともある)、そういえば前にWindows機をメインで使っていた時にはファンの音がうるさく感じて集中できず、「静音」をうたうファンに取り替えたりしていた。しまいにはCPUのクーラーも取り払って、ビルみたいな形の大きなフィンを取り付けたりもしていた。それがMacに環境を変えてからは音がほとんどしないのに驚いて(僕が最初に自分で持ったMacはG4 Cubeという、放熱にファンを使わない機体だった)、以来、Macを好んで使うようになった。
そうだ。Windows機にすると、特にメーカーが専用品で作り込んだものでない、汎用的な部品で組み立てられたようなそれにすると、たぶん僕はまずその音が気になり始めるのに違いない。そうすると作業とは実質的に関係のない、ファンの取り替えだとかにお金を使うようになって、Macのように一度導入したらほとんどそのまま使い続けるという風にはならない可能性がだいぶある。
そんなことを考えるうちに、やっぱり今、一時的に修理代がかかってもMacを使い続けるべきじゃないかという気持ちになり、アップルのサポートに電話をかけたら、年末なので今出しても修理の上がってくるのは年明けの10日ぐらいになるという。それでは今から作業をしておけないので困ったなと思っていたらあちらの提案で、「もし今、一度起動すれば安定して動いているようならそれで作業をしていただいておいて、在庫部品が再び入ってくる年明けになってから修理に出されたらよろしいのではないでしょうか」という、もっともな提案があり、それに従うことにした。
ひとつ良かったことは、修理代の高いことを嘆いてみたら、「クイックガレージ」という、Macを専門に修理する業者があることを教えてもらったことで、実際、そちらに連絡を入れてみると、もし電源単体の交換ならアップルの言う修理代の半値くらいで済むらしいということがわかったことで、不具合は電源だけということを祈りながら、今はひとまずバックアップを頻繁にとりつつの作業を進めていこうかと思っている。