誰のため

先週、父親について用事を手伝った後急に疲れが来てそれからしばらく横になっている時間の方が多かった。風邪らしかった。熱が出るかと思うけれどそういうこともない。けれど体はしんどくて頭も鈍く痛い。喉鼻の調子もわるいので部屋にいるときはずっと加湿器をつけていた。これは今もそうしている。それで、三日間ぐらい喉鼻の不調が続き、昨日は母親の通院付き添いだったので仕方なく外へ出た。あまり人の集まる場所へは行きたくなかったけれど、母親は診察室での先生との話がよく把握できないことがあるというし、「あんたも付いてきて聞いてほしい」ということもあったから一緒に診察室へ入ることにしている。けれども、そうすると今度は逆に僕が先生に話すことを後で気にすることがあるので、このあたりはなかなか難しい。僕自身が先生の話を把握できない時もあるし。今回は自分の体調のこともあり、待ち時間も長く疲れていたので何も口出しをしなかった。
母親は趣味の手作業をする時以外にはベッドに横になることが多い。けれどデイサービスへ行っているので少なくともその時には人と活発に話もするし運動もしている。「疲れる」と行って、帰ると必ず寝てしまうけれど、それでも人と接することが根っから嫌というタイプではなく、むしろ前後に気になることが多く出てはくるものの、その時には交わりに関わろうとしてエネルギーを出すので、帰ってくると声もよく出ていて普段より活気がある。このあたりは自分とよく似ている。今の母親は僕よりよほど健康的かも知れない。
父親はやさしそうでいて、いったん何か事をいっしょに始めるとあんまりやさしくない。先週の作業も僕ひとりがよそのお宅からもらい受ける長く重い棒を軽トラックに何本も積まされた。棒の置いてある近くまで行ければもっと楽だったはずだけれど少し離れた場所に停めておかないといけない事情があって、結構重い棒を何本かまとめてトラックまで持っていき荷台に積むということを何回か繰り返した。それをロープでしばって「さあ帰るのか」と思ったら、今度は古い大きな箱に詰められた、何やら筆で書き付けてある古紙類に興味を示してその箱を「積んでくれ」という。このときはさすがにちょっといやになったが、「念のため持ち帰っていいか聞いてみたら?」と話したら結局「念のため(そのお宅の息子さんに)聞いておく」という答えだったらしく、幸いその箱は積まないで済んだ。
借りたトラックを返しに行くと、父親が「ちょっと入っていこう」というので嫌だったけれど元の父親の職場であるそこでしばらく休ませてもらうことになった。愛想のいい女の人が「コーヒーを飲むでしょう。クリームとお砂糖は?」と聞いてこられたので「あ、すいません。クリームだけで」と答えている間にも何人かの人が入って来て父親と大きな声で話をする。父親は誰と関わるのもそんなに厭わない。お酒はまったく飲まないけれど、仕事をしていた頃には酒の席でも普通に出て行ったし、人の話をよく聞いて自分もよく話す。その時、人と対していて何もストレスはないんだろうかと思うが、今、それをたまにこちらから訪ねると「あいつはああ言うけどな・・」とようやく文句を口に出すことはあるものの、それが心にあとあとひっかかって、もうその人と出会うのも負担でたまらない、ということにはならない。それよりは動いて、人と関わっていないと気が済まないようで、この辺りは弟とよく似ているように感じる。

父親に誉められたという記憶があんまりない。一番記憶に残っているのは地元の高校の試験に受かった時で、この時にはめずらしく握手をしてくれた。僕よりも早く発表を見に行って本当に喜んでいた。他にもあったのかも知れないが、覚えているのは本当にそのぐらいだ。あとは大学を途中でやめてひきこもるようになった頃、そんな僕よりむしろ、卒業の時期を過ぎても遠方の大学から帰ってこなかった従兄弟を連れ戻したり仕事の世話をしたりして面倒をよくみていたことを、僕が「なぜ自分の子はほったらかしで・・・」と幾度も蒸し返して文句を言ったり、小学生の頃に親族の前で「あいつはアカンわ」と言っていたことをやっぱり蒸し返したりと、そんなことを繰り返しながらやってきた。
特に僕が荒れていたときに一度だけ父親は「わしらの世代は、子供は親の背中を見て育つという考えやからあんまり話をすることができひんのや」と言ったこともある。なので自分は父親の作業を手伝って何も評価されることがなくとも、本当は「うれしい、ありがたい」と思ってくれているのだろう、と考えることで自分の気休めにしている。仕事をすることさえ、半分は親のためだと思ってやってきたところがある。なので今、家の改装でお金がかかり、なおまた付け足しで工事をしてもらいたいところが出て来た時に、少ない自分の預金からそれを出そうと考えるのはそのためだ。けれど自分としてはやはり不本意な部分もあるので、矛盾しているけれども、「ああ、せっかく失業保険を受けてもむしろお金はマイナスや」とあえて口に出していうこともある。
前の職場にいた頃、僕の数年あとに若い人が別の課へ入って来た。内部障害の方だった。課も違うし年齢もだいぶ違うからほとんど話すこともなかったし実際に出会うこともあんまりなかった。一度だけ、仕事が終わってからロッカーで着替えをしていたらその人が入って来て、「あぁー、しんどいなー」と独り言を言いながらこちらの方へ来られる気配がしたので、目が合ったときに「お疲れ様でした」と、無難だと思う挨拶をしたら相手は少し驚いた様子だったけれども「あ・・お疲れさまでした」と答えてもらえた。ある日、その若い人のご両親が自分のいるフロアにみえて、「短い間でしたけど、みなさんとこうしてお仕事ができたのは、あの子にとって幸せだったと思います」とお母さんが挨拶をされた。それでその人がなくなってしまったのを知った。帰られたあとにすぐ、上の上司から「かずやさん、その人、知っていましたか?」と言われたので、どうしてかその時とっさに、「いえ、知りません・・」と答えた後、だんだんと頭の中で、あのロッカー室で挨拶をした人のことが頭に浮かんできて、「ああ、僕、やっぱりその人のことを知っている・・」と思ったけれど、あとから上司にそれを言うこともなく、それでも、「ああ、知っていたのにどうして「知りません」なんて言ってしまったんだろう・・」としばらく後悔した。
親に悪く思われたくないから我慢して仕事をするというのは、どうも違うのだろう。けれどその人にとっては仕事をしたことでご両親はその人がきっと幸せだったと思っておられた。
僕は、もう50に近いし、体力も衰えて来てすぐに疲れるし、あとは自分が、無理だろうけれど多少の年金を受けられるものなら受けて、生活保護は受けることなくこの家をなんとか維持しながら、弟に迷惑をかけることなく、人生を終われる方法を考えている。その過程で近所付き合いや、20代から受けの悪い親族付き合いの煩わしさをなるべく避けていくことも考えつつ。