
今年は紅葉を一度も撮っていない。これは去年、公園で撮ったもの。
用事があるときにはなんとか出れる。職業相談は今回人が違っていて多少ドキドキしたけれど、いつもとそれほど変わりのない対応をして頂いたのでほっとした。10年以上前、ある当事者会(薬物依存でこまっている方々のそれ)主催のシンポジウムに参加したら、それ以来購読費も支払っていないのに定期的に通信を送って頂いてきていたのをずっと申し訳なく思っていた。そして宛名が以前自分の属していた団体の事務局になっていたものだから、今はそれも事実とはちがうし、この際、10年分にはとても足りないけれど多少の寄付を入れさせて頂いて、同時にお手紙で今後も継続的に購読費が支払えないだろうことと、これまでのお礼には足りないけれど多少振り込ませて頂いた旨を書いて送った。郵便局で、昔バイトをしていたので知っている人がいないか窓口やカウンター内に座っている人を見たけれど思い当たる人はなかった。数年前、まだ民営化直後ぐらいだったか、窓口に行ったときには、その職員さんが20代の頃いっしょにバイトをしていた人だとわかって懐かしく思いながら対応をしてもらった。当時、その人は京都から来ている学生さんで、ボート競技にとりくんでいると話していた。寡黙で、皆から一定の距離を置く人だったけれど、だからといって嫌われるということもなく、温厚という文字が似合う好青年だった。それで僕も、その人とはいっしょにいて安心できた。窓口で対応してもらった時には、彼は僕のことに気がついていない感じだったけれど、近くに指導役みたいな方がいて時々口を出されているような状況だったから、うすうす思い当たることがあっても態度に出すような状況ではなかったのかも知れない。
あの20代の頃から、いろいろとあったけれど、そのいろいろなことで人の、僕を不快に思うこともでてきて、それが妥当な場合もあるのだろうが・・・それほど罪深い自分なのだと思う。

郵便局のあとは銀行に寄り、少ない定期をやめることにした。そうしてその一部を、改装の最後に、これは両親がより快適に暮らすためにはどうしても必要だろうと思うことに使うことに決めている。今日はその見積もりのOKを受けて業者さんが説明に来られたので改めて契約をすることとして、オプションとして設定されている部分についてどうするかを決めておくことになった。これが来月中に出来そうなのは良かったと思う。本当に寒い時期に要るような気がするから。
母親はもうほとんど家事をしないし、父親も耳の聞こえがかなりわるくなっている。そうして、今は毎日自分の趣味やそれにまつわる依頼事に一生懸命になっている。僕は、誰にどういわれようとも、そうして親が人生の最後の方を快適に暮らせるように提案したことは間違いではなかったと思いたい。このことが直接自分に対して何かで返ってくることもないし、むしろ持ち出すことが多くなったけれど、それについてはきっと後悔しないだろう。
以前の職場で別の課の課長さんと、たまたまロッカールームでいっしょになったとき、「最近、風邪みたいな症状が出るんやけど熱までは出ないし、市販薬を飲んだらいっとき改善するんやけど、また同じことになる」と、マスクをかけたまま話されていた姿を想い出し、その時自分もそうだったし今もそれは続いているなあと感じる。同じくらいの歳の方だったから、おそらく加齢で免疫力が低下していて、ちょっとした環境の変化やストレスなんかも関係して身体の不調が出やすくなるんだろうという気がする。そして今がまさにそんな感じだ。決して「快調」な時はなく、常にしんどい。しんどいけれどもそのまま寝たきりになっているわけにもいかず、起きだしの、まだ身体が動く時に勢いで部屋の片付けを始めたりする。今日も、ゆうべ、冷蔵庫を開けたら電源が来ていなかったので原因を調べたら、古いコンセントがいけないようだということがわかって、お昼過ぎから冷蔵庫の位置を変える作業を始めた。これがやけに重く、それでも最初ここまで移動させたのには何かあったのだろうと思い、前側を持ち上げたら動かしやすくなった。前の足は固定式だけれど後ろ側に小さな輪が付いていて、その体制をとれば動かせるということらしい。けれど基本的におもくて背の高いものだから、なかなかこれを動かすには難儀した。それ以前、冷蔵庫を持ってくるべくそこらあたりの物をどけて放ったままにしてあるから、移動した後はそれらを片付ける作業が今もまだ残っているのだけれど、移動だけでだいぶ疲れたのでこれを書きながら休んでいる。台所が終わったら今度は居間の整理がある。時々そういう作業をして忘れようと思うことがこころに再燃してきて死にたくなる。今日はその気持ちが一段と強くなったので、中断したということもある。僕が生きたといえる人生はごく初期の子供時代で終わっていると思う。