
人と会いたくない気持ちがまた大きくなっていて、今朝もひとりでいたら電気屋さんが来たらしいのがわかるのだけれどベッドから起き上がって出て行く気になれなかった。特に約束もなく、あちらも来るという日に来なかったり、こうして突然来られる時もあったりなので、「まあ、いいか・・・」と思っていたら父親が帰ってきて対応をしてくれているようだった。玄関の明かり取り付けと、それから両親の部屋用にBSアンテナが取り付けられていなかったので、自分でやってもいいけれどアンテナや、電波の混合機・分波器等を都合するのがめんどくさくなってきてお願いすることにした。10年あまり前にもこんな感じだった。あの時もやっぱり屋根にアンテナを付けに電気屋さんが来られたのだけれど、どうしても外に出て対応する気になれない。そうして、机の下に潜って汗をかきながらたえていた。なんでそこまで人と会うことにエネルギーを要するのか、自分でもわからない。
もうすぐ、また職業カウンセリングがあるので、なるべく生活リズムを一定にしておこうと思っている。本当に出なくなっていたのを、ここのところは人と出会わない夜に犬の散歩へ出かけるようにしている。それでもゆうべは、やっぱり犬を連れて向こう側から歩いてくる人とすれ違い様に、かすれた声で「・こ・んばんは・・・」と話しかけて行こうとしたら、相手の方がうちの犬の名前を呼んでしばらくそこに立ち止まることになった。犬同士は仲がいいらしくて、けんかっ早いところのあるうちの犬も相手に「やあ」とでも言うように顔を近づけて相手をしてもらっている。「いつもはおじさんが連れておられるので」と、相手の若い女の人は怪訝におもったようだったけれど、犬を見て安心されたようだった。するとこちらもそのまま黙っているのも居心地がわるいので「この方(相手さんの犬)はなんという種類の?」とか、「かわいいですね」とか、当たり障りのないと思えるようなことを言った。子供の頃から人とすれ違うのが苦手。どこを向いていたらいいのかがわからない。そういうのは、人から見ると「こちらを避けている・いやがっている」ように見えることもあるようだった。

父親のために作業していた観音像の写真加工は、やっぱりそれぞれのお寺の名前が手前に彫られている部分が鮮明でないとだめだったらしく、撮った時間帯と機材の準備不足とでそれがかなわなかったことは話しておいたのに納得がいかない風だったので、「僕も無理な姿勢で何十枚も撮ったものを加工して、インクをたくさん使って印刷したのに。前に像にしか焦点は合ってないしな、と言っておいたはず」と不満を話したら、かわいそうに、もう何も言わなくなった。そして今はそのうちの数枚とこの町の古地図とを合わせて板に貼付けたものを窓に置いている。けれど考えてみれば僕も頑にストロボを使うことを嫌わず(使うと明るすぎて対象の細部が真っ白になってしまうので止めていた。)、何か光量を下げる工夫をするとかしたらよかったのかも知れない。
Macの電源は相変わらず調子がわるい。考えてみると3年ほど前に買ったとき、光学ドライブの音が異様に高いのでサポートへ電話をしてみたら、「しばらくコンセントを抜いておいてから、改めて試してみて下さい」というのでそうすると治ったことがある。あれは今から考えると電力についての処置だったんだと思う。きっと最初から電源は問題を抱えていたのだろう。1年あまり前からだろうか、スリープさせても勝手にハードディスクが回りだしたりまた止まったり、を繰り返すようになり、何か周辺機器がわるさをしているんだろうかといろいろ試すうちにまた治ったりしていた。けれど最近はスリープから復帰しなくなって強制的に電源を切らないといけなくなることが多くなり、そうして一度電源を切った状態から起動しようとするとボタンを一回押しただけではダメで、必ず二回押す必要が出て来た。もうスリープさせるのはこわいので設定を切って、電源をいちいち落として起動という、Macの使い方としてはあんまりスマートでないやり方をしている。つまり電源ボタンを二度押しして起動している。
家のことといいパソコンのことといい、いろいろと考え込んでいると煮詰まって来てどうしようもなくなる。なんでも考えた通りでなければ、安定して動かなければ承知しないという思いが強過ぎるのかも知れない。