
送ったレンズは希望の金額で引き取りますという連絡が来たので、それでお願いすることにした。今日はまたいろいろと他にお金に出来るものはないかなと考えていた。というのも、これから寒さ、暑さが厳しい時期、親が生活しやすいようにということと自分の先のことを考えて、家の不要なところを除いたり、新たに部屋にしてもらったりしているうちに、これが当初父親が考えていた支払額を越えることになってしまって母親が心細そうにするのと、あと一カ所、自分としてどうしてもそうしておきたいという部分が出来て、それをかなえるためにはもうひとふんばりお金の要ることがわかったから、自分でも今出来るだけのことをしようと思うと普段使いのお金は別にある程度用意しないとだいぶ心もとないハメに!なっているからだ。普段使いといったって、この国で生きて行くのにどうしてもいる健康保険料と、それから特に老齢年金の掛け金がウエイトとしては大きいので、願いとしては低所得者でも、何億と稼いでいる人でも、老齢年金の掛け金は同額という仕組みは改正してくれないかなといつも思っている。あと、消費税も基本的な食品だけはゼロ税率にするとか、自民公明党政権には他の間接税先進国をもう一度よく見て考えなおしてほしい。(たぶん考えてはくれないだろうけど)
それで思いついたモノとしては、あと2つのレンズのうち、近接(マクロ)撮影用のもの、足の不自由になった母親にいいだろうと買ったけれど本人は使い勝手がわるいらしいダイニングごたつ、中古で買って最近あんまり使用頻度のないスピーカー、以前の車にしか合わないチェーンなどなど。どれもそれほどにはなりそうにないけれど、レンズ以外は出してももうそんなに惜しいとは思わないからたぶん出すだろうと思う。この際、家の中から不要と思うようなものを片付けていくのもいいことかも知れない。一時はMacのノートブック本体やカメラ本体まで対象にして考えてみたけれど、ノートブックは家仕事でも使うし、このところ電源が弱っているらしい「母艦」たるMacがいざという時に使えなくなったら相手先に迷惑をかけることになるので、予備機としてもやっぱり置いておいた方が安心できる。なのでこれは思いとどまることにした。カメラは、要らないと言えば要らない。写真を撮ろうと思ったらIPhone4sのカメラでも自分には十分なんだろうと思う。けれど、他のものについては「もういいかな」と思えても、たとえば今回のようにレンズを処分する時には、なんだか「自分の足を食べているタコ」になった気分になる。ということはまだ惜しいという気持ちが強いのだろうから、これをどうにかする時というのはもっと「追いつめられた」(苦笑)時だろう。

この間ハローワークに行ったら、自分は求職に関しては今全く積極的でないから相談員さんに何をどう話せばいいだろうと思いながら、ここはそのままお話しするしかないと思って「・・・その後・・・特別なんということもないんですけど・・・」とボソボソと話し始めたら、それを聞いてもらったあと、「かずやさん、その格好で寒くないですか?」と尋ねられてちょっとびっくりした。「車で来られたんだったらいいでしょうけど、外だと寒いんじゃ・・。昨日はまだ、だいぶ暖かかったですけどね」と窓の外を眺めておっしゃるので「・・・ああ、ええ、はい・・・建物の中だとこれでもいいかなと思って来たんですけど、外だと陽が当たらないと寒い・・ですよね、はは(汗)」みたいな内容で話がおわった。その時はほっとした。相談の時にはいつも番号札を渡してもらって待つのだけれど、前回、ちょっとした疑問を尋ねに行った際にはそれをシャツの胸ポケットに入れたまま話をしようとしたら、「あ、すいません。私は番号札をもらうのを忘れてしまってそのままということがこれまでにもあったので、先に札を頂いておきます」と、こちらがうっかりしているのに「罪」を被ってもらった。これが自分だったらそんな風な言い方が出来ずに「すいません。先に札を頂けますか」とストレートな感じになって相手にいやな気持ちをさせるだろうと思った。そういう配慮について、後から何度も何度も、その時の光景を想い出しながら「すごいなあ」と感じている。けれどもそういうことは普通の人には当たり前のことなのかも知れない。
(iPhoneで初めて撮ったパノラマ写真。湖の様子を撮ろうと思ったのに立っていた場所が全然それとかけ離れていた。360度とまではいかないけれどかなり広範囲に撮れるのに驚いた。)
服装が気温にマッチしていないことは、自分は以前から多かった気がする。特に薄着の場合が多い。この日も周りを見渡すとカーディガンをはおったりジャンパーを着たりしている人までいるのに、自分は夏用の薄いカッターシャツ一枚だけだった。熱があるのに普通にしてたりむしろ活動的になったり、そうして突然調子を落としたり。体温についてのセンサーは若干おかしいところがあるような気がする。
父親の観音菩薩像の写真切り抜き加工作業は続けている。明日あたりにはとりあえず印刷できるところまで持っていきたいと思っている。