場所を得た犬

ここのところただでさえ暑いのと、家の改装が進まないために部屋が狭くなっていて、犬も夜のあいだは寝苦しそうにしている。はじめは部屋の中にいても、夜中になるとあちこち異動して、涼しいところを探しているようだ。自分もこの部屋にいるとなんだか息苦しいし、特に足腰の弱っている母親が移動するための導線を確保しないと危ないと思ったので、ここは一度、一部屋に集めたものを元に戻した方がいいのではと考えていた。それで今日さっそくそれを実行した。
父親は夜中のエアコンの冷えを嫌うので、風の行きにくい隣の部屋にベッドを移動し、冷えやすい場所は母親のベッド一つにした。双方の部屋はうすめのレースのカーテンで仕切ってあるので、父親もまったくエアコンなしで眠るということにはならないし、母親は自分の好みの温度設定で眠れる。あとは犬だ。
以前も犬を飼っていたとき、夏場がしんどそうだったのでアルミ製の板を買っておいたのだけれど、今年の夏はそれをどこにしまったのかわからなくなっていた。すると今日、部屋をごそごそしていた時に偶然出て来たので床に置いてみたら、犬も気に入ったようで早速その上でしばらくくつろいでいる。対角線に横になるとちょうど体のサイズに合う。なんでも、隅に貼ったシールから適度にマイナスイオンが発生しているとの触れ込みだったのだけれど、もしそれが本当に効果があったのだとしてもさすがに今はそれはないだろう。でも犬の体温を気持ちよく奪うには適当な板だ。

上の写真は夕方、犬を散歩に連れて行った際にiPhoneで撮ったもの。最近、また一眼レフカメラとはご無沙汰している。自分も年齢相応にからだの状態が推移していて、ここのところ困っているのは近眼と老眼とが混在してしまっていること。もう少ししたら老眼が勝った状態になるのかも知れないけれど、今のところこうしてパソコンを打つ時とか運転する時には近眼用眼鏡が欠かせないし、かといって手元の小さな文字は見辛いし、カメラにしてもファインダーの付いていない、背面液晶のみで映すタイプのものでは対象に焦点を合わせにくい。適度にカメラを体から離して撮るしか方法がない。
今はちょっと落ち着かない。仕事さがしの関係で先生から診断書が送られてくるのを待っている。これが送られてくれば必要な書類はすべてそろうので、いよいよハローワークに行くわけだけれど、今になってその気持ちが萎えてきた。半年前に一度行ったときには、最初「今すぐ働けますか」と受付の方に聞かれて「少し事情があって・・」とモゴモゴしていたらあちらの方も戸惑われた様子だった。本来なら支援員さんからあらかじめ伝えて頂いていたように、父母の入院介護等があるので認定の延期をお願いするべきはずが、渡された紙に僕はどうしてか自分の体調面の不安を重点的に書き、話もしたので、「あなただけを特別扱いするわけにはいきませんし・・・」というお言葉を頂いた。それで「あれ、何も特別扱いしてほしいわけではないのに、どうしてこういうお答えなのだろう・・・」とずっと後になって考えてみたら、相手の方にとっては親の入院や介護の話が僕から出てくるはずが、それより優先して就労中からあった体調面の不安ばかり出てくるので話が合わないと思われたのだろうと気がついた。
そんなことがあったのを思い出して、今度またハローワークへ行ったときに自分がきちんとした動きができるかどうか、ちょっと不安になっている。僕は小さな頃から思いつきで、衝動的に動くことで「生きる」ことに能動的になることが多かった。その結果が良かろうと悪かろうと。あらかじめ考え過ぎるともう全く動けないようになった。大人になると人との距離のとり方も難しくなり、周りを巻き込む結果を招くような衝動的な動きはなるべく意識して抑えるようになった。
たとえば部屋を整理するといった程度のことは、一晩の思いつきでやったとして何も言われはしないけれど、「えいっ」と動いて、しかしそれがやや複雑な手続きごとだとか、社会的立ち位置に関わることになると、物怖じしてしまうようになった。機械的に、比較的かんたんなことのみをするだけなら出来ても、少しこちらで考えてから行動しなければいけない時には、いざその現場に行くと予想していなかったことなどが起こったりして、そこで頭が混乱して予期しない動きをしたりする。それで、やや戦々恐々としながら、先生からの診断書を待っている。