
去年から、自分がひとりになった時のために、あるいはそれ以前に両親がより過ごしやすくなるように家の改装を考えていたのだけれど、お金も要るし、それぞれの意見が食い違う点もあり、話し合いが難航していた。ここに来てようやく全体の希望がまとまり、大工さんや電工屋さんにとっても作業のしやすい時期になったので、いよいよ具体的に見積もりをとってもらってとりかかろうか、という段まで来た。それで今日は早速電工屋さんに来てもらったのだけれど、案の定、自分は夜更かしがたたって起きた時には工事が始まりかけており、「このまま部屋に入ってきてもらった時、寝ているのでは格好わるいな」と思ったので無理に起きて階下に降りた。まだ2、3時間ほどしか寝ていなかったけれど、自分に関わる電気製品のコンセントは全て抜いておいてから、犬を連れて外へ「避難」することにした。
この季節、桜は盛りを過ぎて、芽吹きの緑や夏のもみじが目立つ。眠いと思いつつ犬を連れて大きな通りの緑地を歩いていると、朝からウォーキングしている人が案外といたり、しばらくすると駅からこの山手までリュックを背負って上がって来る、「観光」というよりは人の少ない通りの緑を楽しむというタイプの人たちも増えてきた。カメラを手にしている人が多く、犬のひもに引っ張られながらiPhoneで樹々を撮る僕と同じように、やっぱり写真を楽しそうに撮っている人が多かった。

犬がひもを引っ張るので制限もあったけれど、朝に見る緑の様子はお天気の穏やかさも相まって美しかった。桜が満開の週末に人とひしめき合いながら風景を楽しむのも、ある意味、季節の醍醐味だと思うけれど、そうして人の少ない時に、季節の移り変わりの端緒を感じながら景色を見るのも悪くない。ただ、僕はどうしても眠かったので、家に帰ってやっぱり横になる事にした。その時は、不思議といい夢を見た。
夕方、入院後初めてのデイサービスを終えた母親が帰ってきて、いつもと違う屋内の様子に興奮する犬をなだめる声が聞こえてきた。工事の人たちが帰るのを待って起き上がり、父親と夕食の買い物に出かけることにした。その時たまたま、以前、家が近いのでいっしょに職場に通っていた人が帰って来るのに出会ったのでしばらく話をした。
まだ記憶も薄れておらず、この春の人事異動の様子をいろいろと話してくれるのを聞いて生々しくも懐かしい感じがする。同期で入った女性が辞めたと聞いて一瞬意外に感じたけれど、その人は僕の辞めるだいぶ前からどんどんとおしゃれに、かわいらしくなっていったので、「そういうことかな?」と思ったらやっぱり「そういうこと」だった。同じ辞めるにしても本当に祝福の退職。僕も皆さんからお花を頂き、上司からは今も重宝している使い勝手のいいバッグをもらったりして拍手をして頂いての退職ではあったけれど、その後は何も見通しのつかない生活が待っていた。洗濯機をまわし、洗った物を干して、食事の用意を手伝い、片付けをし、乾いた食器を棚にもどして時々風呂やトイレを掃除する。部屋に掃除機をかけたり整理したりする。親が入院すれば見舞いを繰り返し、手術する段になれば先生の説明を聞きに行く。通院に付き添い、ドキドキしながら検査の結果を聞く。けれど、ひきこもることがベースになる。

去年の秋に地元の保健師さんに両親のことを相談したあと、ついでに、すり減った自分が出て行きやすいような場がないかどうか相談してみた。すると、年を越して2月頃にお返事があり、ご紹介を頂いたものの、そこは去年の相談時に「自分としては負い目もあり、出て行きにくい」と確かにお伝えしておいたところだったりした。でもせっかくご紹介頂いたのだからと思って一応連絡をとり雰囲気を尋ねるものの、やはり出かけづらいと思ったのでそのことを手紙でお返しもした。すると今月初めになって「異動が決まったので後の相談はこの方に」という伝言が留守電に入っていた。
「すり減った」といえば、もう10代の終り頃からそういう感じはあった。知的な遅れのない発達障害は人から見て大変わかりづらい。中には発達障害があっても自己評価さえ低くならなければ、得意なところを生かして社会参加している人は多い。そういう場合には人から見ると「この人は変わっている面はあるけれども仕事はできるし、そういう個性なんだな」と受け入れられることになり、その時「障害者」とはならない。けれども小さな頃から人との関わりに難儀し、得意な面を伸ばす機会が少なく、不安を感じ、緊張しながら集団生活を過ごして思春期の終り頃まで来てしまうと、自己評価はかなり下がっている。それを補うために勉強をがんばってみたりするが、能力に偏りがあるので全体としてのパフォーマンスは発揮しにくい。過敏であり、不器用であり、大人になっても仕事は続かず、「どうしてこれが出来てこれが出来ないのか?」と不思議がられたりする。それがあらかじめわかっているので、出来ない事を出来ないと伝えても「出来るはず」と拒まれたりする(この時、特性をとらまえて段取りをある程度つけてもらえると出来ることもある。)。やってみるとやはり出来ないことは出来ないので、それでまた自信を失くす。抑うつ傾向が小さな頃からあるので、そういう時にその「出来なかった事」の方が頭に残りやすく、「出来た事」は残りにくい。するとますます「自分はこの社会ではやっていけないのだ」という思いが強くなる。「頭から離れないこと」も外での経験を重ねるごとに多くなっていく。