頭から離れないこと


今日は午前中家事をすませた後、午後から少しパソコンを触っていました。外は良いお天気で、久しぶりに雨戸を開けて掃除機をかけた部屋に風を通しました。花粉症がひどいので窓を開けながら掃除をするのをためらったのですが、後から開けてしまうのならおんなじことです。
僕の障害程度では、特に精神手帳では、年金を受けるには現状なかなかむつかしい様子です。僕としては、人との接触がこわく、よほどの用事がなければ外に出れないというのは生活障害だと思うし、今のようにまた仕事をなくした状態なら障害年金の受給に柔軟な対応が欲しいと思うのですが、どうも無理だと思えます。
これまで精神職親制度を使ってのパート仕事や福祉作業所、障がい者雇用等使ってなんとか仕事をさせて頂いてきましたが、年金を受給することはありませんでした。数年前、それまで仕事の中で教えていただいた技術や経験等を生かせるのならばと、未熟ながらも障害者雇用にトライしてみたのですが、そこでなんとか数年間続けられたのには、途中からわかった自分にある発達障害についての支援を、主治医や、診断を下して下さった現在の主治医、支援センターの支援員さんの再三に渡る面談という形でして下さったことが大きいと思っています。
ただ、残念なことがどうしてもひとつ頭から離れない。自分が数年前、障害者就職面談会へ赴いた際、それまで施設を訪れておられた就職支援員さんと会場でお会いしました。実際にはほとんどお話をしたことはありませんでしたが、僕が面談先事業所を決めて時間を待っているとき隣に座られたのでご挨拶をしたら、しばらくして耳にお顔を寄せてこられた。「何かな?」と思って聞くと、
「あのね、一般事業所はあなたの思うほど「甘い」ものではないよ。それにあなたが施設をやめたら迷惑をかけることになる」と一言。
僕はその時、動揺しましたがとっさにどう反応していいものかわからず、「ああ・・・はい」というような答え方をしたような気がします。幸い、後に雇用はして頂けたわけですが、勤務後数日目あたりに職場の最寄り駅でまたその方とお会いした際には、僕はこわさを覚えてしまいました。それでなるべくお会いしないようにと思ってしまっていましたが、仕事の終わり頃、僕のいる部署に顔を見せに来られて、にこにことされるので、こちらも失礼ながら恐れを抱きはしつつも「どうもこれまでありがとうございます」と、お礼を言いました。それきり、帰りの駅でもお会いしましたが特にお話もなく。
ただ、その後、あの面談会での言葉の意味は何だったんだろうという疑問がだんだんと強くなりました。
僕の特性として、ひとつ疑問を抱いてしまうと、それが相当長く頭に残って考え込むということがあります。それが人との関わりを難しくしてしまっている面もあるのでしょうが、集中できる環境さえ整えば、この特性を生かしてよく能力を発揮できる発達障害者もあるようです。
その後、この就職支援員さんが自分の部署に来られて経過を上司等に問い合わせていただくということも、自身の知る限りはなかったように思います。
一般的に、「就活」をしている人間が面談を待っている時間中、「君の就職意識は甘い。周囲に迷惑がかかる」とおっしゃる「就職支援員」さんって、いるのでしょうか。僕のもつ常識としては、たとえその人間が未熟だと感じたとしても、まず「がんばれ」というのが、少なくともこの場合の支援の仕方だと思うのですが。
このことが今も頭から離れないので、今後もし「就活」をすることになり、もし同じ方にお出会いすることがあれば、その時の自分に勇気があれば、どうしてあのような言葉であったのかをお尋ねしてみたいと思っています。
今日は母親の様子を病院へ見に行くつもりで、「欲しい」と言っていたばら寿司と、山椒昆布、タケノコ煮を少しずつパックに入れておいたのですが、お昼から疲れを覚えて寝てしまい、起きたらもう出るには遅い時間になっていました。だいぶ遅くまで見舞いのできる病院なのですが、どうせなら明るいうちにと思っていたし、昨日も様子を見には行っているので今日はあきらめることに。
手術を終えたもののその後の経過が前回より今ひとつ良くないようで、まだ急性期病棟で部屋をあちこちしながら過ごしています。ただ、昨日傷口を本人が見せる限り、かなりマシになっているような気が素人ながらしたので、もしかするとリハビリ病棟へは移ることなく、このまま退院してくるんじゃないかという気もします。本人はリハビリ病棟にあまりいい思い出がないので戻りたくないというし、できれば当人の希望どおりになればとは思うのですが、それにはまず手術跡がきちんとおさまることが大事になります。糖尿病もあるのでそちらの経過も心配なことは心配ですが、長い入院生活に精神的にまいっているので、ひとまず家に戻ることは必要なんだろうなと思います。